先日嫁さんと神田明神にお参りに行った。常に財布に忍ばせている「勝守(かちまもり)」の交換のためだ。浅草から神田まではやや長めの散歩をするのにちょうど良い距離ゆえ、バスや電車は使わず徒にて渡った次第。折しもその日はこの秋一番の寒さ。衣替えを済ませたばかりの我々にとって、初めての冬服となった。始めはあまりの寒さにガクガクと震えながら歩いていたけど、上野辺りに到着する頃には身体も温まり、なんならちょっとのどが渇いた。

「あ、そうだ。ひろし!」

嫁さんがバッグをゴソゴソしたのち、財布を取り出す。やがて札入れからカード状の何かが姿を現した。どうやら「スターバックス」のカードらしい。

「前に友達から誕生日プレゼントで貰ったんだ」
「スターバックス……」
「嫌い?」
「いや、嫌いじゃないけども……」
「今の季節限定でパンプキンのやつがあるんだ! 飲まない?」

スターバックスと聞いて、筆者はちょっと身構えた。世の中には2種類の人間がいる。気負わずにスターバックスに入る事ができる人とそうじゃない人だ。筆者は完全に後者である。あるいはこう言い換えても良いだろう。スタバで良くわかんねぇ飲み物を飲みながらMacBookを広げつつ「そうきたか……」とか言いながらカタカタカタ……ターンッとキーボードを叩ける人と叩けない人。もちろん筆者はできない。萎縮してしまうのだ。

「何かさー、スタバって苦手なんだよね」
「そう……?」
「意識がさ……高いじゃない。全体的に」
「えー、でも上野だよ?」
「上野でもスタバだぜ?」

これはもしかしたら筆者が田舎出身だからかも知れない。もちろん田舎である長崎にも普通にスタバくらいあるんだけども、例えば筆者は未だに六本木やら麻布やらが苦手である。自分みたいな芋掘り農家の末裔なんぞが来ていい場所じゃねンだわみたいな謎の劣等感があるのだ。スタバに感じる正体不明の苦手意識もそれに通ずるものがあるのかもしれない。

とはいえせっかくの嫁の誘い。しかもプリペイドカードがあるということは無料で飲める。何かあったら嫁が助けてくれるだろうし、ここはちょっと物見遊山も兼ねて行っておくべきだろう。この商売、なにより見識が大事だ。さては見て、聞いて、触って、味わって、スタバのなんたるかを飲み下してやろう。

上野駅の隅っこ。自動ドアを潜る。左右に視線を走らせてまずは観察。いるぜ、ひとつ、ふたつ、みっつ……。パッと見ただけでMacBookが5台はあった。

「(おい、はるちゃん、やっぱMacなんだなみんな……。絶対仕事してねーだろこいつら。あそこの爺様とか100パー無職だし何みてんだよマジで)」
「(シッ……! いいの! あの人たちはMac広げに来てんだから……)」

とはいえもっと100台くらいMacが並んでると思ったのだけど、広げてる人の割合は全体の10%ほど。思っているほどシリコンバレーじゃなかった。これに力を得た筆者はのしのしと店内を闊歩しカウンターへ。まあスタバはスタバだけど所詮は上野。外へ出ればホームレスのオッサンが鳩に餌やってる街である。勝手知ったるなんとやらだ。恐れることなどなにもない。

カウンターの行列。前に並ぶ若い兄ちゃんは190センチほどの長身に金髪。スキニーパンツにくっきりと浮かんだケツがめちゃくちゃプリプリしていた。

「(おい、はるちゃん。前の兄ちゃんのケツみてみ。……熟した洋梨みたいな形してるだろ)」
「(ぷ……。やめて……!)」
「(なんでスキニー履くんだよなぁ。禁止にしてくんないと駄目だぜこういうのは。国のせいだと思うんだよね)」
「(シッ……)」

洋梨の如きプリケツの男はカウンターで何やら早口で注文をした。何言ってっか全然わからなかったけど、かろうじて「マダンテ」みたいな単語は聞こえた。

「(ケツのひと、なんかドラクエの呪紋みたいなの注文してたぜ……?)」
「(大丈夫よ。指差しで注文できるから)」
「(だな。普通のって言えばいいよな)」

我が順番がやってきた。カウンターの向こうのお給仕は20代前半くらいの娘で、小豆みたいな色の粉を目の周りに塗ったくっておった。これはパンクスなのだろうか。でも場所柄ゴスロリメイドの可能性もある。パンクスか、ゴスロリか。いやまてよ、これはハロウィンのホラーメイクなのではないだろうか。だが他の娘はそんなのやってないし、これはこの娘の趣味なのだろう。ということはやはりパンクスかゴスロリのどっちかなのだろう。刹那の逡巡を経た後、目の前にスッとメニューが提示された。

「どちらにされますか?」
「どちら──」

提示されたメニュー表にはちっちゃい文字でめちゃくちゃいっぱい飲みもんの名前らしきものが書いてあった。思わず嫁の顔を見る。それからメニューを見る。まいった。全く読めねぇ。なんせ筆者、老眼・アトキンソンなのである。しかめっ面で首を前後に動かしてちょうどギリギリ見える位置をめっけて、かろうじて「フラペチーノ」なる単語が確認できた。よく分からんがうまそうである。これにしよう。

「じゃあこの……フラペチーノ? で」
「はいキャラメルフラペチーノ」
「あ、その、アイスで」

最後のひとことが完全に余計だった。困ったような顔の娘が優しく解説してくれる。

「お客様、フラペチーノというのは、アイスを砕いて……こう……シャリシャリ……になったやつなので、全部アイスです。シャリシャリ……」
「あ、そうなんだ。へへ……」

嫁が破顔するのが分かった。普段偉そうにふんぞり返ってキーボードを叩いてる筆者がコテンパンにされるのを見て楽しんでおるのだ。

「サイズはどうされますか?」

筆者の脳裏にどこかで読んだ文献の一節が浮かんだ。文いわく、スタバのカップのサイズはSMLの3種類じゃなくて、それぞれ独特の呼び方があるそうな。時折、物を知らぬ粗忽者が「Mで!」などと言って己の田舎者っぷりを晒し大変な恥をかくらしい。だのでここの答えは簡単である。特定の単語を回避しながら普通のサイズを注文すれば良いだけである。答えはこうだ。

「真ん中ので」

娘はちょっと困ったような笑みを浮かべて、それからこう解説した。

「サイズは4つありまして……」
「なんで4つあんだよ……」

思わず悪態をつく筆者。この時点でものすげー帰りたくなった。このスターバックスというコーヒー屋は何もかもをすべて分かりづらくする方向でブランド力を高めていったみたいな説をどっかで読んだけど、サイズが4つあることで「普通」とか「真ん中」という注文法まで封じてるとは。神算鬼謀の嫌がらせである。

「(通る!)」

嫁がつぶやく。反射的に身体を反らして後ろの人を先に通そうとする。

「(違う! 通る! 通る!)」
「(なんだよ……通っていいってば……)」
「(トオル……トールサイズっていいなさい!)」
「(……ああ!)」

やっと合点がいった筆者が高らかに「トールサイズ!」と宣言するや、目の周りに小豆色の何かをゴリゴリに塗った娘が「トールサイズで!」と復唱してくれた。ふう。これにてミッションコンプ。コーヒーひとつ注文するのにやれやれだった。続いて嫁が「わたしのお手本をみとけ」と言わんばかりに

「アイスのパンプキン・スパイス・ラテをグランデで。ミルクをソイ、チョコチップをトッピングしてください」

と言った。フフン。みたいな感じで得意げな嫁。なるほど、こやつはこれを筆者に見せたかったのだろう。たしかに、何か知らんがカッコいい。筆者もミルクをソイ!って言いたい。だが、ドヤァと胸を張る嫁に、小豆色グリグリの娘はこう言ったのだった。

「すいません、パンプキン・スパイス・ラテ、売り切れなんですよ……」

こんどは、筆者が笑う番だった。