19時30分。残り2時間半のラストスパートを告げる合図は、自分のお店を閉めた後にやってくる近くのお蕎麦屋さんでした。開口一番「今日も出てないなあ」。そんないつもの挨拶から始まります。そして閉店時「やっぱり今日も出なかったよ」そう言って1日が終わります。

このホールは6枚交換。時間的に考えれば、等価交換のホールで打ったほうが良いのでしょう。でも、彼は毎日来ました。そして、私はそんな彼を毎日見ていました。

設定1でも出玉率104%超の『クランキーコンドル』のシマ。ただ、その甘さは技術介入によってもたらされるもの。全開適当打ち、リプレイハズシ(BIG中の獲得枚数アップ手順)をしない彼には受け取れない恩恵でした。それでも彼は毎日来ました。私を含む周りの人間も一目置いていました。「我々が出さない箇所も含めてリーチ目に詳しい」と。「我々は勝っているから翌日も打てている。彼は純粋にコンドルのリーチ目が好きで打ち続けている」と。

気付けば挨拶するようになり、閉店後に隣の中華屋さんで飲むこともありました。大晦日に、年越し蕎麦のアルバイトも頼まれました。引っ越してきて早々に退職し、世間との繋がりが一切なくなった私にとって唯一のコミュニティとなったのです。

なぜ彼は毎日のように来られたのか。時代的に、いつ打ち始めてもいつヤメても大丈夫なゲーム性で、ホールも薄利多売。遊びやすい環境で遊びやすい機種ばかりだったのは間違いないです。ただ、私はこう思います。“そういうホールが歩いていける範囲内にあったのが大きい”と。歩いて行けるから毎日のように顔を出せ、狙い台も作れるわけです。これが遠かったら、どんな優良店でもそういうわけにはいきません。

このコミュニテイの一員となって、いろいろと考えるようになりました。私は彼らに何を返せているのだろうと。ただ自分の収支のために打つのは違うのではないか? 私が勝つほどに設定が下がり、彼らに還元されるはずの出玉が削られることになるんですから。

彼らは仕事を終えて息抜きとしてやってきているわけです。その息抜きをより楽しいものとするのが私の役割ではないか。そう思った私は、常連のお客さんに“落としそうなリーチ目講座”を開いたり、収支の逼迫度で優先順位を付けて良さそうな台を紹介したりしていきました。ライターとしての仕事の原点ですね。私にとって、このコミュニティはゼロからやり直す再出発点でした。社会との接点という意味でも。

 

だから、私が好きなホールとは、その地域のコミュニティがあるところ。店員さんが常連客同士を繋ごうとしてみたり、そのコミュニティ作りの手助けとなってくれるところです。もちろん、歩いて行ける範囲内になくてはなりません。一人でも多くの「人生、詰んだ」と思っているような若者がやり直せるきっかけがあればなお良しです。

繁華街の大型店化は、経営的に利点も大きくありますが、多くの人にとって歩いて行ける範囲内にほぼないですし、コミュニティ作りには不向きだと思えます。店員さんもお辞儀の深さばかりが目立って、お客様の顔をよく見てもいない気がしてしまうんですよね。そりゃ、お客さん側もドライに勝ちに行きますよ。「出しすぎたから程々に」とかまったく思う必要がないですから。

天井狙いとかコスい立ち回りしかされないと嘆いているホールもありますが、コミュニティがしっかりしていれば、それ一辺倒な人は居辛くさせられますし、そういった常連客のネットワークを放棄しているからそういうドライな人ばかり寄ってくると思ってしまうんですよね。

ただ、この私の好きなホールの方向性は時代錯誤だとも思っています。その頃は1万5000軒以上ありましたからね。今の倍です。それだけホールの数が多かったから成り立っていた手法というのもあります。住宅街の中小店は多くが姿を消しました。むしろ近所のコミュニティを鬱陶しいと思うような人ばかり残ったのが今の形とも考えられます。