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 パチンコ=脱税。そんな風に見ている方も多いかと思います。

 最近では、青汁王子や芸人の徳井氏などが世間を騒がせましたが、それらは所得税(法人税)の脱税が主で、当然これらメインの税金に関する脱税行為はパチンコ業に限らず様々な業態で行われてきました。

 ちなみに、現在の脱税状況はどうなっているかと言うと……


※引用:国税庁 平成29事務年度 法人税等の調査事績の概要

 パチンコは割合では7位。一軒当たりの金額で見ると2位。まだまだ多いと言わざるを得ません。ただ、本日はそこが主旨ではありません。過去、パチンコ業界に課せられていた特殊な税金と、それに翻弄された業界について取り上げていきます。

「入場税⇒娯楽施設利用税」と「風営法」

 戦後、パチンコ業界に課せられた税金の一つに入場税というものがありました。これは、映画や音楽なども含むいわゆるエンタメ場へ課されていたもので、消費者ではなくパチンコホール事業者が払うものです。

 戦時中の1940年から1948年までは国税として扱われていましたが、1948年に地方税へと変わりました。これによって、各都道府県単位で徴税方法や課税率に関して混乱が生まれたのですが、パチンコ業はこの時点ではまだ課税対象ではありません。

 正式に課税対象となったのは1954年。入場税が娯楽施設利用税と変わり、パチンコ業が正式に分類されてからの話です。ただ、パチンコホールに入場チケットなどなく、人の出入りが自由という特性上、1台/月という単位で税額が決められていました。

 ちなみに入場税が地方税に移管した1948年に風俗営業取締法が施行、娯楽施設利用税と変わった1954年に風営法が改正とこの税制と風営法は度々セットとなって議論されており、この時代にパチンコをどういった立ち位置に置けば良いのか、模索していた時代背景が分かります。

 尚、この入場税・娯楽施設利用税は、1950年時点で月額280円/1台。当時のパチンコホールは6割営業が基本で盆暮れ正月ともなれば3割営業という今から考えればむごいボッタクリ状態でも営業できた時代です。1950年代のホール経営を詳細に分析した「パチンコ産業史」( 名古屋大学出版会)でも娯楽施設利用税には触れられていない事から、ホール経営に関して言えば大きな影響のある税金では無かったと言えるでしょう。

 その後、娯楽施設利用税は1989年の消費税導入に伴い廃止されましたが、2014年頃に国会の俎上に上った「パチンコ税」は、その論拠にこの娯楽施設利用税があげられていました。取れるところから搾り取る国のスタンスが見え隠れしますが、その背景には「パチンコは脱税NO.1!」というイメージと実際のこれまでの悪行による世論の後押しがある事は言うまでもありません。

物品税と乱売問題と特許紛争

 もう一つパチンコ業に課せられていたのが物品税。こちらはメーカーに課された税金でしたが、これは当時のパチンコ業界を大きく揺るがしました。その背景にある流れは以下のようになります。

  • 物品税は1940年よりある税金だったが、パチンコ台は課税品目に明記されていなかった
  • 「遊戯具」は明記されていた
  • 1951年に国税庁長官が「パチンコ台も遊戯具だから徴税せよ」と通達
  • 拡大解釈で租税法律主義に反すると反発しメーカー事業者が裁判を起こす(パチンコ玉遊器課税事件)
  • 1958年3月28日、最高裁が原告(メーカー代理人)の上告を棄却 正式に物品税が課されることになる(当初の税率は台価格の16%)
  • この1951年~58年までは大いに混乱。あの手この手の脱税が横行した
  • この時期は正村ゲージ⇒連発式のブームから1955年の連発式規制と思いっきり重なる
  • また、1953年頃から偽造パチンコ品が横行して特許係争が頻発していた
  • 1955年の連発式規制後は偽造品が廉価に乱売され、瀕死のホール側も偽造品と分かりながら購入するケースが増える
  • その結果、まともに納税している正規メーカーの台ほど売れなくなる

 この時期のパチンコ業界の隆盛と凋落、物品税への対応の混乱ぶりはジェットコースターなんてもんじゃなく、正に「激震」と言える状況でした。

 また、連発式規制後の悲惨な状況下で、なんとか業界全体を守る為にと奔走した人ほど痛い目に合うという時代でした。

 その内の一人は、平和創業者の中島健吉氏。当時の全国的なメーカー団体である全工連(全国遊技機製造工業組合連合会)を通じて、定められた納税を推進しようとホール・メーカーと折衝を続けた結果、ホールから不買運動を起こされ前身の平和商会が一時倒産するハメになりました。※1956年に製造部門「コミック商会」営業部門「平和物産」で再スタート。

 また、SANKYOの創業者で当時平和の社員だった毒島邦夫氏は、4,000円以下は物品税の課税対象外という点に目をつけ、安い機械の開発を手掛けます。その結果、今では当たり前となっている筐体と盤面を分離できる着脱式を完成させたのですが、こちらもメーカー・ホールの反発にあい頓挫。引責辞職をする形で平和を去る事になってしまいました。

 毒島氏の場合、物品税に翻弄された結果、平和を退職し、その後SANKYO(旧・三共)を創業した事で、後のフィーバーブームに繋がるのですから不思議なものですが、それはあくまで結果論です。

 こうして、業態の特殊さと業界全体の「激震」が相まって、脱税・抜け道探しに走る者と業界健全化を目指す者が分かれていき、業界再編へと歩みを進めながらパチンコ業界は成熟していくのですが、その話はまた別に。

 尚、この物品税も娯楽施設利用税と同様、1989年の消費税導入と同時に消滅しました。

 


■万回転 プロフィール

  • 1978年生まれ ♂ 非業界人
  • 好物はアナログ機とリーチ目メインのスロ
  • パチプロ時代に当時タブーとされていたCR銭形平次の捻り打ち動画をアップしてしまいネットでプチ炎上。
  • それを機に安田プロと個人的な親交が生まれ、悠遊道へ寄稿する事に
  • 色々あって完全にパチプロを引退。現在は別業種のフリーライター・エディター他便利屋業
  • 色々あって×2
  • 現在は稼働よりもパチンコの歴史についてお勉強中

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