私は小学生の時、板と釘を使って作りました。パチンコ台を。そしてビー玉を弾いて遊んだものでした。

パチ友たいがー山本さんも小学生の時作って遊んだ、と言われてましたので、案外同じようなことしたことある人もおられるのでは?

別に親兄弟がパチ好きでなくても、先輩同僚から誘われなくても、日本に生まれたならどんな環境であってもパチンコが好きになってたという変な自信があるのは、子供の頃からのこういった(持って生まれた)気質からです。

子どもの頃はプラモデル作りが好きでした。車、戦車、船、よく作りました。車を選ぶ際は、電池式は勿体ないと、ゼンマイ式を選びました。そういった、作ることが好きでしたが、なぜパチンコ台を作ったか記憶をたどってみました。

パチンコ店が商店街の片隅にあることは知ってましたが、世界が違う感じで入ることなどあり得ません。多分ゲーセンでピンボールなどパチンコ的な遊技の経験をしたことや、かすかな記憶ではおもちゃのパチンコ台が親戚の家にあったことなどから知った、のではと思います。そして、近所の神社の縁日で1度だけ、手打ちのパチンコ台が並んでたのを見たことも大きかったのでは。

未だに、設置されてた場所や、後ろにおばさんが入ってたことも憶えてます。それらがきっかけで作って遊んでみたい、となったと思います。

で、板と釘、トンカチなどを用意してパチンコ台作りをしました。多分入賞ポケットに点数も書いたと思います。右側にビー玉が通る通路を作る。玉の動きを楽しむため、水平に近い傾斜。見た目スマートボールのような感じで、何回か作り直しもしました。

スマートボールとは、ピンボール的な傾斜でピンポン玉より少し小さくそこそこ重みのある玉を弾いて盤面を転がせ、点数が印字してある入賞口に入れば、点数分の玉が出てくる遊技です。買った玉を増やせれば景品がもらえたりしました。

私がパチンコを始めた40年前は地元に1軒だけ、パチンコ店内の片隅にありました。20年前、兵庫県の城崎温泉に行った時は3軒の遊技場内に手打ちのパチンコ台と共にありましたね。そのうちの1軒に入り、懐かしみつつスマートボールを遊びました。お金を入れるとガラス台の上を白い玉がガチャガチャ落ちてくるのを、ガラスが割れないか心配になったりしました。手打ちの台は奥村のチューリップ台でしたが、調整中の台も多かったです。

まあ、スポーツでも球技が好きでしたし、中学ではテニス部、今も自宅に卓球台があったりしますが、パチンコも一種の球技?ということで、小さい頃から玉が好きでした。玉と言えば、丸い石ということで五目並べも好きでしたね。同級生相手ならほぼ負けたことなかったです。

やはり敗けず嫌いでもありましたね。子供心に、ジャンケンは「パー」「グー」「チョキ」の順で出されるので最初に「パー」を出せばよい。アイコなら、「パー」→「グー」の方が「パー」→「チョキ」より出やすいので、再度「パー」を出せばよい。このジャンケン必勝法?は特に女の子に対して効果的でしたし、「お連れの無い者負けですよジャンケン」ではさらに威力を発揮しました。

高校時代はまあ灰色の受験勉強時代、でも18才になればという気持ちが心の奥底にあったように思います。そして、大学受験の下見に京都市内へ行き、下見が終わって帰路に付く前。場所は「松山千春の季節の中で」、が流れる四条河原町の繁華街。田舎ではあり得ない人ごみに気持ちも開放的になり、ココなら地元の人に出くわす心配もないだろう、と意を決して初めてパチンコ店の戸を開けたのでした。

1978年11月27日のことでした。

PS.いつもアイキャッチに使っている鉛筆画の柴犬は、10歳くらいの時のはなちゃんです。 15歳で天寿を全うしました。