OH!!大袈裟タイトル!!

本日は、とある昔の恥ずかしい話をしてみたいと思います。

それは今からもう約20年前のこと。時は4号機爆裂機時代が終わり、4.7号機が主流になっていた時の話。

その頃、ボクの祖母が亡くなりました。我が家は共働きの家庭だったので、子どもの時分、家に帰れば常にいるのはおばあちゃん。所謂「おばあちゃん子」として育ち、思春期になると今流行りの「うっせぇわ」ばりに煙たがっていたような存在が亡くなったのがボクが20そこそこの頃でした。

今でもよく覚えているのが、吉宗で2万枚近く出したその夜に入院していた祖母が亡くなった事。そして、その後の1週間に飼っていた2頭の犬が立て続けに亡くなったこと。1頭は亡くなったというか元々野良の子だったので、最後を見せたくない習性が働くとかなんとか、首輪を振り切って行方不明のまま戻らなくなってしまったわけですが……。

 

ちなみにその頃、ボクは一人暮らし。

その件がかなーりショックかつ、当時の仕事も中々メシが食えないような生活の中、核となる収入源であったパチスロも今で言うところの欠損まみれな時期が続き、借金をしたことがありました。無職でも作れる丸井カードさんにお世話になってねぇ。

溝の口の丸井でキャッシングした5万円を握りしめてキンパルを打っていたボクは心底クズだったと思います。

ついでに言うと当時付き合っていた彼女との別れもあったりね。

 

この時は、齢40を超えた今振り返っても一番のドン底だったと思います。

プロフにも書いていた通り、✖が二つも付いてる人間ですが、そっちよりこの頃の方が辛かった。ひもじかったもんなぁ。もう自分が情けなくて情けなくて。

それに比べれば離婚がどうこうなんて、所詮犬も食わないエゴのぶつかり合いでしかないし、今こうして生きていることが素直にありがたいと思えるし。

でも、今生の別れだけはどうにもなりません。

 

3回目の緊急事態宣言が出ているGW下、昨年のそれとは全く違う世情となっていて、パチンコ関連のTwitterアカウントの大多数からもまるで緊張感・緊縮感が見られない日々が続いております。

それ自体が仕方ないのは分かります。

でも、決してコロナは無くなったわけでも、感染した時の特効薬が出来ているわけでもありません。

 

何事も命あっての物種。

でしょう?田中さん。

 

毎日毎日、過去の自分に勝てなんて、そんなの無理です。毎日動画編集をしているボクは、田中さんの言う通りまだまだ結果とは程遠いレベル。24時を回って「やり切った」と思えることもあれば、20時くらいにはもう「最低限やったからええわ」って酒を飲んじゃうこともあります。

でも、1年前、5年前、10年前の自分と比べた時に

「真っすぐ生きてますか?」「その頃の自分より成長したいとまだ思ってますか?」

そんな問いかけは、いくつになっても忘れずにいたい。

それは、あれだけボクを見守ってくれていた祖母のお見舞いや、老犬になった子たちの世話を「今それどころじゃないから」と一人暮らしの大変さに慣れない中で親に丸投げしてしまった自分の弱さと後悔を知ってるから。その時、最後の時間を祖母や愛犬とともに過ごせなかった自分への戒めとして、今も胸に刻んでいるからです。

そして、世界を見れば、自分より不幸な人など山ほどいるからです。それに比べたらまだ幸せや、と。なら前向いていこうや、と。

 

パチンカス的に言えば「人は日に米は三合、畳は一畳」。勿論、結果を出す為に邁進していきますけれども、根差したものがそこであればブレずに生きていけると思っている、よくわからないGW中の戯言です。

ししゃも美味しかった。


■万回転 プロフィール

  • 1978年生まれ ♂ 
  • 累計15年間パチプロを経験
  • CR銭形平次の捻り打ち動画をアップしてしまいネットでプチ炎上した事を機に安田プロと個人的な親交が生まれ、悠遊道へ寄稿する事に
  • 色々あって完全にパチプロを引退。
  • 現在は悠遊道動画チャンネルの総合プロデューサー兼ライター

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