「皆さ~ん!こーんにーちはー!」

いわゆる「着ぐるみショーの司会のお姉さん」的な挨拶から始まりましたが、ご安心ください。書いているのは悠遊道のおふざけ担当のアイツであります。

ある夜の事

最近、訳あって【30数年前くらいのパチンコ&パチスロ】について思い出したり考えたりする機会が多いのですが、そんな中で「ハッ!」となった事が有りました。

この間、連日の夜更かしのせいで眼が極端に辛く「今日こそ早く寝るぜ」と宣言して寝床に入ったのに、悠遊道で書きたいアレコレを寝入ってしまうまで思案し始めてしまったんですよね。

したらば。突如、若いころにニヤニヤしながら書いていた「ノート」の事を思い出して、危うく起きだしてしまうところでした。

よくあるパターンだと「そこから執筆に突入して、気が付いたら徹夜しており朝でした。」とかなんでしょうが、そこは、ホラ・・・ね?(笑)

ざっとメモをLINEに残して、夢の中に旅立ち…むにゃむにゃ

…無事に目が覚めたら昼前でございました。

で、さらに数日後。
今、現在PCに向かってポチポチしている訳ですが、なんせ30年前のモノなので、その「夾竹ノート」の現物を探し出せず・・・。

と言う事で、記憶を頼りに伝えてみることにします。

 

当時の自分の活動地域は地元店メインで、そこから”近鉄大阪線”の各駅前のパチンコ店、そこから北は大阪駅周辺、そして天王寺駅周辺・・・と。

今から考えると無駄にウロウロしてましたが、当時は知らない店がある=そこに知らない台がある。と言う事も多くて、そんな台を打ちたい気持ちが勝っていたんですね。

 

夾竹ノートの中は?

さてさて、そんな頃に書いていた「夾竹ノート」の中身ですが、一度建て直しで半年間ほどの店休を挟むも現在営業されている【地元A店(当時の店名はK会館)】の事がメイン。

「シマ図」や「機種ごとの傾向」、「台に対してのお店の扱い」、「役物の癖」等々を、自分なりに書いて悦に入っておりました。

思い出す内に、かなりのオカルトめいた記述があったような気がして、もし見つけたら悶えること必至だと思われますが、特に恥ずかしいとかではなく単に「そういう部分は変わらないんだね」って、少しうれしい気持ちになれました。

ちなみに、収支は別に付けていたのですが、単なるデータに興味が持てず何度も紛失したりしており、今もここ数年の、しかもいい加減な数字しか残っておりません。あーあ、正直に書いちゃった(笑)

アレ?なんか、しんみり?

いつも小さな子供さんがオモチャだったり書籍だったりを目の前にして、顔全体で興味津々を表している(当然意識してではないとは思うが)のを見るたび「自分も子供の頃はあんな感情に何度もなれていたのに」と、酷く哀しくなります。

”同じ顔”をしてるのかどうかは判らないし多分違うと思うけど、”PCでポチポチしている時間”は笑顔であるのは自覚してますけどね。

 

受け身体質というか、性格だったり、追い込まれる迄行動を起こさなかったり。それらによって好機を逃すたびに、この世の終わりみたいに後悔したりと、繰り返すこと50余年。

今でも勿論、誰しもがそうであるように、様々な事に抗い悶えてはいるけど、無駄な力は抜いて生きられる様に少しはなれたのでしょうか。

それとも、まだまだガッチガチ竹なんですかねぇ。

少なくとも、1年前の今頃よりは随分と楽しいと感じられますが、どうなんだろ。

好き勝手やらせていただいて、それを「いいじゃん!」って言ってくれる仲間がいて、案外と贅沢な話しですね。

 

・・・ん?おかしいな?しんみりトーンになってんじゃん!

 

これで、”悠遊道に感謝”とか書いたら、まるで最終回だわ(笑)

ご安心ください、安田さんに蹴り上げられるまでふざけ続けます♪