雨をかいくぐる様に散歩をするも、雨が降っていない時は例外なく気温が高くてしんどい…いや、当然っちゃ当然ですね。もう7月だもの。(みつを)
次の日曜日に54歳になろうとしているヨレヨレの夾竹です、おはようございます。
今回は、先日Twitterのフォロワーさんとやり取りしていた中で思い出した『ゲーセン経営者時代竹』の記憶をつらつら並べてみたいと思います。
京阪沿線に通っていた頃
【ひらパー】でお馴染みの枚方市の少し南に位置する寝屋川市。
『寝屋川のあるマンションの1階で、レストランだった場所が空いているのが気に入らないから、ゲームセンターでもやってくれないか?』と僕に声が掛かったのは、美容材料やらを売り歩いていたピッチピチの独身の時。一緒にヤンチャしていた10歳程年上のHさんの紹介でした。
何の因果か、その当時にちょうどアーケードゲームを扱っている会社に勤めていた友人が居たので、話はトントン拍子に進み、『あっ!』という間に結構な広さだった空間にズラっと『アストロ※1』を並べて『即席ゲーセン』が出来上がり。
※編集注記1:アストロシティの略。ゲームセンターでよく目にする筐体の一種。(筆者貼付の↓イメージ参照)
春のオープンから夏が終わる頃には売り上げも3桁に乗って、楽勝ムードが漂っておりました。
売り上げ好調と言っても、千円札がスルッと飲まれていくタイプの『8ライン』のヤツとかを置いていた等ではなく、『スト2なんちゃらとかキンタ云々』等※2が大人気なワケで、今なお根強い対戦格闘ゲームブームにうまく乗れた感じですかね。
※編集注記2:ストリートファイターシリーズ及びTHE KING OF FIGHTERSシリーズ。ちなみに担当編集は餓狼伝説と月華の剣士は腕に自信アリ(どうでもいい)
決して『点数を貯めたら店員を呼ぶタイプの色々とアレなゲーム』は微塵も置いてませんでしたので、一先ずご安心ください。
『123』チェーンのCMは昔から郷ひろみ
そのマンションのオーナーが『123』でお馴染みの(コレばっかw)延田さんの親戚にあたる方で、当人自身も岡山(だったかな)でパチンコ店を営んでいたらしく、何かと笑い話みたいなエピソードを聞かせてくださいました。
郷ひろみさんと何度も飲みに行った話に始まり、『○○○○(パチンコ屋)のオーナーさんの息子さんが、今月ご結婚されたので御祝儀という事で1口100万円で…』とか、『××の息子さんがポルシェを買ったらしいから御祝儀で…』とか。今もそんな事やってるのかどうかは知る由も無いのだけれど、25年ぐらい前にあるパチンコ店のオーナーから聞かされた話です。
この手の話を何処まで信用して良いモノか悩ましくもあるのですが、当の本人は既に鬼籍に入られておられますし、確認しようが無いので話し半分かそれ以下で勘定するしかないんでしょうね。
『賭麻雀で各々の所有している店を取り合った』とかのような豪気なエピソードとかはまだしも、『ホルコンが壊れて店中の台が当たりまくってエラい目に遭ったんだよー。』とか言われても、苦笑いでしか返せないしね。
と、そんな話を思い出しつつ、今にして思えば所謂『遠隔』に付いての話題に関して何処までホントなのかは確かめておけば良かった…と、未だに後悔しております。
遠隔なんてやってもバレるしリスクも高いので、現実的にあり得ない。とは思いつつも、簡単に『無い』とは言い切れないんですよね。個人経営店のオーナーさんが(笑い話的に。では有りますが)遠隔云々を口にするのを聞いたことがあるんですよね、それも複数人から。
個人的にはあまり突っこんで知りたくはない話題ですが、島毎に『ネカセ』を遠隔操作デキる装置とかの話は何度も耳にした事があるし、ある程度ホントだったのかもしれないんでしょうね。
話はゲーセン経営に戻って。
そんな風に大らかな時代でしたが、そんな楽しい時間も長続きしません。というのも、オーナーが重度のアルコール依存症になってしまっていたんですよ…。止めるのも聞かずに呑み続けて、動けなくなっちゃって、入退院を繰り返して…、挙げ句の果てに眼を醒まさなくなってしまいました。
その直後にオーナーの弟氏(見るからに反社会的なw)がゲームセンターをの入り口に勝手に閉店の貼り紙をしたりして、僕はまんまと相続の揉め事に巻き込まれたっぽいです。
どうやら、オーナーの御両親が亡くなられた際の相続問題が弟さんは納得していなかったらしいです。で、兄のゲーセンに手を回そうとして来た感じですね。
ちなみに、ゲーム機ごと取られたりするのが怖かったので大急ぎで友人に連絡してゲームを撤去しました。その節はご迷惑をお掛けしましたw
当時、両替の為に毎日『朝銀』に通っていたけど、『안녕하세요(アンニョンハセヨ)』とか『감사합니다 (カㇺサハㇺニダ)』等々のネイティブなハングルが飛び交ってて、ベタベタな日本人である僕は怖かったんだけど、今となってはその辺もひっくるめて懐かしく思えます。
あの頃の事を書きだすと、とめどなく話題が続いて終わらなくなるので、また近いうちに続編を書きたいと思います。
あっ!そう言えば。
そのゲームセンターですが…
5号営業の許可申請して無かったから『寝屋川ゲームセンター無許可経営時代』だったわw
ゲームセンターと言えども風俗営業法下のもの、謎の規定とかありますよね。店内の見通しだとか、通路の広さみたいな。まあいざ許可が取れた途端に配置変更してしまうようですが。格闘ゲーム期は第二のゲーセンブームだったように思います。スト2専門店なんてのもできましたからね。今のゲームセンターの立ち位置(店舗数や経営状況)が、将来のパチンコ店を暗示しているようにも思います。
こんな片田舎でも麻雀🀄ゲームで“両替”が行われていたらしい喫茶店☕が有ったのを思い出しました。高校生の頃ね。“役満→1厩戸の皇子”とか聞いたけど、システムが“❓️”だったっけ。
リアルで会えた時に色々お話聞きとうございます🤤
昔でいう8号営業許可ってことですよね。無許可で何年やられたんでしょうか・・・逆にスゴイw
話の内容が濃すぎて他の話も気になります。
> 点数を貯めたら店員を呼ぶタイプの色々とアレなゲーム
ではないですが、「点数を貯めたら自動的にアレなモノが点数に応じて出てくる」麻雀ゲームで内臓商品が枯渇するほどの点数を出したツレを思い出しました。
あと○本取れるから選んで、とカゴに入ったラインナップから選ばされる瞬間は今思いだしても笑えますw
担当編集様、ワタシも月華の剣士はゲーセンの大会で優勝するくらいの腕でした・・・フフフ
餓狼伝説ではチンシンザンとタン老師を使っていたので、全然勝てませんでしたねw
懐かしく思い出したのはフィーバーパワフルでお馴染みになった、スーパーエイトラインと呼ばれてたゲーム機と闇ポーカーゲーム…こちらの田舎ですら喫茶店で当たり前のように行われてたゲーム機を利用した闇ポーカー。今思えば普通に闇カジノでも良かったんじゃないのかと…いずれにしても警察の手入れがあったらどんな逃げ道があるというのか?
パチンコ屋界隈は今でも景気が良い話はありますね…万発さんがたまに話してる。一方で潰れるホールも後を絶たない…金はあるところにはあるのか、先ほど開催された競馬のセレクトセールでも最高額が5億2千万円とか…今年生まれた馬だからデビューは早くて来年…そんな馬一頭に…競馬やパチンコに興じる自分の価値を真剣に考えるのはやめて生きようと思ってはいるものの
獣さん
店舗面積に対してのTVゲーム台数の占める割合とかもありましたね。スト2は操作が常連の小学生に教えてもらってました。
ギルBさん
1大工の息子じゃなくて良かったw
まさおchan
口下手ですが、どうぞよろしくお願い致します(笑)
白いシローさん
ちょっと前まで景品が沢山取れましたよね、温泉街のゲーセンとか懐かしいなあ。
お目こぼしに預かれたのは所轄の皆さんと花見とかやってたお陰ですかねw
禅寺丸さん
陳秦山は体型が他人とは思えない、タン老師は髪型が…おっと文字数制限がががががが
しゃだいさん
アレらの機械に紙幣用のセレクターが付いてなかったら、一応の言い訳は出来たらしいですよ、昔の話ですが。
どこの業界でも稼げている人はいますからねえ。政治屋さんがぶっちぎりみたいですが。
ものすごく興味津々なお話ありがとうございました!
何処のホールかは知る由もありませんが笑
ゲーセンやら延田さんとか…また楽しみにしております
タソガレヲトコさん
コメントありがとうございます。またいつかお話ししてくださいね。書けない話も…