玩具売り場に1日中流れるその緩やかな曲、お内裏さ~まとお雛様~♪から、屋根よ~り~高~か~い鯉の~ぼ~り~♪に変わった頃に訪れます。そう、恐怖のサイクルフェアが。

玩具売り場は日用品や家電製品など、生活関連部に属します。本部生活関連部の部長は、あの政治家浜コー氏のような感じの人で、一切笑わず怒鳴り声半端ない人。地元のハローマックが閉店してしまったように、少子化が進み毎年売り上げが落ちて当たり前の玩具売り場。その玩具担当の本部仕入れ担当者は売上必達の為、部長から「どうするんや!」と言われると「自転車を売ります!」、何かにつけてこう言うしかありません。そのあおり受けるのが売り場。

春のサイクルフェア、秋のサイクルファア、これは決定事項です。3月、その春のサイクルフェアで自転車の特売をします。チラシ打つ1万円の自転車。儲けありませんが、値入関係なし。私は値入(儲け)重視の感覚でしたがそんなの関係なし。売り上げ最優先にて売って売って売りまくれが本部方針。

導入日、早朝出勤し段積みトラック待ち構え、まずは自転車を下ろします。重ね置きできませんので場所を取り、1階ではじゃまになりますのでエレベーター使い5階の後方まで運搬。このトラック便が来る日を把握してなかった際に、受け渡し担当者からえらい怒られたこともありました。「じゃまや!何とかせい」と。

導入時はハンドル曲げられ、ペダル外され、ビニールや一部ダンボールで覆われてますので、それらを剝がしたりブレーキ調整などメンテナンスしたりします。中国製ということもあり、擦りキズ付いてるのも多く、そこはペイントします。

この作業、私が入社した時は私は(完璧主義者の)主任の下ゆえ男子社員は2人いました。しかし1年後主任が新店へ移動し、以降は男子社員は私1人。従業員減って補充無し、が常ではありましたが、この大量の自転車の扱いを1人でって、今から思えばあり得ない事。

春と秋のサイクルフェアでは自転車は1階店外店頭に並べます。早朝出勤(もちろんサービス残業)し40~60台くらい。そして閉店後は店内に移動。なので基本私が付きっ切り。閉店時にはさすがに、他の店内店頭担当の方から片付けの加勢をして頂いた方も。こういった時は実に有難かったですね。

1階の店頭当番に私が付き、5階玩具売り場では2人のパートさんのみ。この体制でお昼休憩の取り方を想像してみてください。2か所の売り場を3人で回すということ。私の昼休憩時、パートさんに来てもらう訳で、その間ゆっくりお昼など取れようか。お昼休憩時(食堂は5階後方)、自転車コーナーへ呼び出し喰らうことしょっちゅう。「荷台取り付けをご希望」とか「補助車取り付けをご希望」とかね。

そういう意味でも、2人のパートのおばちゃんはほぼ自己都合などで休むことなく、よく出勤をして頂けました。でも、その後違う店舗へ転勤した際よく勝手に休む若い女性店員がいて、1日売り場に1人、なんて日もあったり。風邪で休み、というので自宅へお見舞いへ行くと、苦笑いの親御さんが「大阪へ遊びに行ってる」とかね。

まあ、売り場まで彼氏がしゃべりに来てるソバで別の彼氏から電話が入り、私が「私用での電話はお断りします」と言ってブチ切れたりも。

話を自転車へ戻し、1階ではPOP作成、空気入れ、ブレーキ調節などやる事いっぱいです。時には、駐輪場に停めてる自分の自転車のキー無くしたのでどうにかならんか、と言ってくるお客も。

お持ち帰りしていただける自転車はその都度、ブレーキ調整や、防犯登録するかどうかの確認、など。この防犯登録の用紙。無くなれば地元の自転車組合の人のお宅へ行って貰う必要があり、その際に「組合の役員になってほしい。そして今度ある会議に出てほしい」とか言われたるするので行きたくない事案。

そして配達承り。当初、代引き承ってて車に乗せて配送してたこともありつつ、基本は配達伝票作成し、某運送会社へ依頼する訳ですが、運送会社もトラック内に重ね置きできないがため、倉庫内後回しということも。

で、お怒りの電話が来る訳です。「自転車まだ着かん」と。

そりゃ、売って売って売りまくれ、とばかり月曜朝、配達伝票付けた自転車が1階搬出口に所狭しと並ぶ訳で、クレームと販売数は比例する、を地で行くことに。そして、元々ペダルのネジ差し込みのネジ山の向きが反対という不良品の自転車が3台発生した際は3件立て続けにクレームの電話が。

もちろん代車を積んで私がお客の家まで届けた訳ですが、だから安物大量販売は嫌いでした。ブレーキのキーキー音も多かったし、この対応は水を掛けるが一つの方法でしたけどね。買って間もないお客の玄関先にある自転車サビだらけに、やっぱりな。そして変速機付き自転車の故障など、技量を擁する修理は最寄りの自転車屋さんに持って行き、修理費自腹、もたまにありました。

あのトンデモクレームは多分、以前書いたので割愛(もし知りたい方おられましたらやぶさかではありません)しますが、その時購入した学生ズボン代も自腹でした。

その後、別のお店へ転勤し良かったこと。それは店外店頭での販売はしない(するスペースが無い)お店であったこと。でも、一日中店外店頭で自転車販売、つまり5階の売り場へ戻り商品出し商品整理売り出し準備は閉店後にまだできる。

1日何度も1階から5階、階段を1段飛ばしで駆け上がったりすることも、「仕事はスポーツだ」の精神があれば、若かったしまだできる。

辞めて人の補充無し。売り場の中央レジに私1人。あっちの自転車コーナーで自転車見てるお客あり。でも行くに行けない。で、1台の自転車をこちらにころがしてくるお客さん。

そう、その後はレジ打ちをしつつ、合間にブレーキ調整などメンテナンス。サンリオの10円のアメを持つ子供さんの後ろに布団を抱えたお客さんが並ぶレジの横に置いた自転車をメンテナンスするという1人二役。これはもうスーパーマンでもできない事。辞める時期を想像し出した頃の事。

今ではもう生活雑貨専門店に、それこそ自転車専門としての担当者が当たり前ですが、その昔、玩具売り場の一角にあった自転車コーナー。当時、玩具担当者主任はおもちゃ販売は片手間に、何でもこなせないとやっていけない時代ではありました。