今回からは過去に出会った開店系のプロの人の話を書いてみよう。
☆まずSさん
初めて話したのは、自分がジグマをしていたホールの羽根モノコーナー。いつも口元に特徴がある奥さんと一緒にいる人で、その奥さんに「あんたプロでしょ。台選んでよ」みたいなのがキッカケだったと思う。
自分はこういう人間だし、若い分知らない人を拒絶する意識は薄かった。普通に「こっちの方がいいと思いますよ」みたいなやり取りをしたものだ。
ご夫婦が開店廻りと知ったのは、もっと後のこと。知人のプロに「ああ、会の偉い人だよ」と言われて知ったのでした。「幹部」という名称があるのもその時が初耳だったなあ。
以後は自分が根城とする店の開店や、食うに困ったり年若い友人がかけてくれたお座敷(新規や改装などの誘い)でも良く顔を合わせることになった。
別に敵対する必要もないしね。顔を見れば、普通に「チワッス」と挨拶はする。ドスの効いた声で(ガタイも顔もイカツかった)
「おおっ、昨日は出たのか?」
と聞かれたら、
「はい、3万発出ました」
てなもん。
自分にとっては全然悪い人じゃなかったよな。
もう10年以上前か。当時まだ会に入っていた知人に
「あの人どうしてる? 最近見ないけど」
なんて話をしたら
「Sさんね。引退したよ」
との返事があった。
「引退」という言葉があるのもびっくりしたけど、「年齢的にたしかにそうか」と思いながら、「そういうゴールもパチプロにあるのか」と、感慨深くはあったもんだ。
そういえば、羽根モノの「桃太郎」というポップな機種の入れ替えの時だったかな。交換所で奥さんに
「あんた、まだこんな所でチマチマやってるの? あたしなんて今月は60万よ」
と月の半ばにして言われたことがあった。あの時に
「えっ、そんなに美味しいんですか。俺も入れてもらえませんかね?」
と頭を下げていたら、自分も開店の人になっていたのか? なんて思う時がある。
いや、そういう発想自体なかったけれど…。
とにかく、Sさんご夫妻、遅まきながらお疲れさんでした!
P.S. プロのグループには地域性が歴然としてある。西東京のSという会は昔は別組織で、東側のSとは国分寺辺りを境に不可侵条約的なものがあったとの噂を聞いたことがある。
そんなことも理由なのか、西多摩の開店プロはトップどころに穏健派が多かったのかな。自分には誰かが端の方でブツブツ言っている程度で、面と向かって言い争いになったりの揉め事を起こした経験はない。友人の話では、他のピンの打ち手の台を狙う人も少なかったようだし。
ポチは「雑誌のプロはまた違いますよ。安さんは恵まれてるから」と言うけれど、千葉の方じゃ嫌な話も聞いてるしねえ。
まっ、後から入って残り物を「これくらいでいいよ」と漁るのと、並びでまで勝負しようというのでは、向こうの気持ちも違うのかもしれない。
攻略の世界ほどヤバくはないのがヒラ打ちだけど、踏み込み過ぎないのも大事かな、と。
巡り合わせが良かっただけの自分が言っても説得力はないですがね。
僕は本業は常に持っているので真のプロになったことはありません。
でもプロに近い生活をしていたことが随分昔にあります。
住んでいた店は松原市にあったパチンコ村の弁慶。
パチンコ村には同系列の店が3軒あり、隣の店は大河会館といい有名人のベンツ小林氏がちょこちょこ来てました。
弁慶は俗に店が弱い店舗で、設定を入れても釘を甘くしても稼働率が上がらない店でした。
僕には格好の状況でした(笑)
その頃は羽曳野が地元の開店プロがいたのですが、かなり荒くたい連中でした。
スロット台も殆どの台を押さえてしまうんですよね。
どこかの喫茶店の同じマッチで押さえるのでバレバレでしたが(笑)
一般客が文句を言えば怒涛されていましたね。
でも、僕が打とうとする台だけは開けてくれました。
僕の事を住んでいるプロと思ってくれたようです。
荒れくれ者ですが、その辺のマナーはありました。
毎日くる負け客の台も、僕がマッチを回収して確保しましたが文句は言われませんでした。
ある意味、いい時代だったかもしれません・・。
電脳龍さんへ
返信が遅くなり、申し訳ありません。
西の方の地域なのですね。
開店時の台取り関係の件、「いい話だなあ」と思いました。
今はもう、そういうことも無いだけに…。