今日はメーデー。

て、言いますけど何の日かよくわかんなくて、労働者の日かなーとか、映画なんかからそう感じるのか、ドラマチックな響きのことばだなーとか思っています。

今日はヤなやつを書いてみます。贔屓チームと支持政党と宗教。ホステス時代に「触れてはいけない」と言われてきたタブーのひとつです。

ひとはギリギリで生きているのだなと思う時がある──

私がヘンコ(偏屈)である事は過去何度も書いてますが、教師によって授業を聞く/聞かないというのがあり、嫌いな教師の授業、体育なんか「成績を1にする」と脅されても屈しなかったため、1でした。

そんな調子だから頭が悪いんですけど、中学時代に家庭科の教師とモメた事がありました。彼女は私が熱を上げている先生を知ったようで、その先生を使って私に注意してきたんです。あの時の「頭に血が上る」感覚ね。そういうとこやで。

そもそもその家庭科の教師を何故、嫌うようになったかというと、授業中に新興宗教の勧誘とも思える話をしたからです。怒りでいっぱいになりました。そのカルトではありませんが、私には狂信的な叔母がいたからです。彼女がいとこらの人生を狂わせる様を見てきました。

どの宗教に関しても全くの無知ではありません。邪宗門は名著だし、末井さんの映画のレビューやキリスト教圏の話でも出しましたが、勉強をしたし、なんならいくつかのお経もソラで唱えられます。クラスメイトがなんちゃらの証人に勧誘してきた時も、話は真面目に聞きました。当時の恋人に連れられて宗教施設に行った時も、ご近所からの座談会だの勉強会への誘いも全部しっかり受けました。

その上で過去も現在も、そしておそらく未来も私は無信仰を貫くでしょう。信仰を持つ事に対しては何の批判もありません。自分は持たないってだけの話です。

と言いながら、歴代の猫たちは全員、ペットのお寺に納骨してるんですけどね。飼い主である私の遺灰は、同じ寺でもいいんですが数百万する永代供養がバカらしいので、散骨希望です。マイホ横のちょっとした緑にしれっと撒いてくれてもええなとすら思っています。あの日のコオロギの子孫が私を踏んでって「こらこらこら」と言うのも楽しいかなと。海は嫌いだから、どこか涼しい土地の原っぱに撒いて欲しい。花咲か婆さんてなもんで。

この家庭科の教師の話でひとつだけちゃんと覚えているものがあります。それは「じゃがいもの芽で亡くなった人がいる」という事実。一人だけいるつって。ソラニンつったか、毒がある芽を集めて炒めて食べた人がいると。それって自分で実験したかったのか、単純にもったいなくて?の事なのか。何もかもが不明ですが「へ~」と思ったものでした。

亡くなったのだから家族は悲しい。でもやがて「じゃがいもでって…」となり、オッチョコチョイだったな~とか思い出話を沢山されたんじゃないかなと思うんです。

こうやってうっかり死んじゃう人もいるし、ギリなところで私たちは生きとるんだな~と。そこから考えがどんどん広がっていくわけなんですよ。子どもの頃は墓地が怖かったが、年を経るごとに何だか落ち着くようになったという意見は多いですよね。あちゃらへ近付くたんびにそうなるように出来てんのかな、人間て。

自分が生きてきた道を振り返ると、恥ずかしい事の方が多いです。それでもここから行く先に関しては、その都度、考えてやれるようになってきた事が嬉しい。デタラメかも知んないけど。でもアラフィフで大切な仲間を得て、それはいつまでかはやっぱわかんないけど、続いていく。形を変えながらでも、続いていく。

3月のテーマは「パチンコに感謝したいこと」でした。うん、感謝しきれません。とても得がたいものを授けてくれたパチンコ、憎むだなんて誰が出来ましょうや。

まぁでも負けたら「ほんーましばいたろか」と思いはしますけど。

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