新年のご挨拶はしてありましたね。前回の更新は昨年末に書いておき、ゆっくりと妻の実家に帰省しておりました。

鳥取県米子市。山陰はよくわからない方も多いかと思いますが、左が島根県で右が鳥取県。米子市は、鳥取県の左端なので、鳥取市よりも島根県の松江市のほうが近いです。そのような立地なので、初詣は出雲大社に行くのがお約束。義両親ともパチンコとは無縁。私もほぼまったくパチスロのことを考えないリセット期間ともなっています。

10年ほど前は、普通のテレビでパチンコ屋のCMがバンバン流れていたり、新聞の織り込みチラシも多くありました。しかし、広告規制の影響でどちらも見かけることはなくなりました。新規ユーザーやスリープ層がパチンコという存在を思い出す機会すらないと痛感する次第です。

本来ならば、市場調査として米子市のホールを見て回らなければならないのでしょうが、正直なところ……そんな気力はございません(笑)。

毎年必ず帰っていますが、最後に米子市で打ったのは2006年かな。4号機以前の古い機種を残しているホールがあり、それを目当てに隙を見つけて行ったものでした。いまはどこも同じようなラインナップで、特色のある客付きがあったとしても、それは地域性というより“そのホールの個性”から疑ってかかるべきでしょう。わざわざ遠出をしてまで打ちたいとも、打って何かを学べるとも思えなくなってしまいました。その2006年くらいまでは旅打ちが大好きだったんですけどね。

 

○私が旅打ちをしなくなった理由

この仕事を始める前の1999年あたり、かなり旅打ちに行っておりました。当時は専業として打つのが苦痛になって来ている時期で、ある程度の収支を出したら、あとは旅打ちしていたんです。インターネットというか、パソコン通信の仲間も全国にいましたし。前に「あの冬、過疎店が繁盛店になった」というコラムを書きましたが、その2日後には尼崎のK店にいたような気がします。

K店とは、バリバリの裏モノが多く設置されていた鉄火場。東京のような並びはなく、シャッターが開いたら一気に雪崩れ込む入場方法でした。それだけでも地域性の違いを感じられます。そして、そこに行かなければ打てない機種たち……というか裏基板たち。裏モノだけに理論では解き明かせないのです。ひたすら打つべし。打って経験値を積むべし。カーナビもない時代、ふと気が付けば地図もなしにK店の駐車場までスイスイ。国道2号沿いのビジホは顔パスになっていました(笑)。

そこでなければ味わえない雰囲気。そこでなければ打てない機種たち。これこそが旅打ちの魅力でしょう。機種は同じにせよ、三重のオールナイトもそうですね。すみません、行ったことはありません。沖縄に行って清流ジャパンの沖スロを楽しむとかもアリ。あとは、その地方に住む友人と連れ打ちしたいとかかな。旅打ちと言うよりかは連れ打ちを実現するための移動となりますけど。

 

このどれもない旅打ちにまったく興味がないのです。マーケティングを駆使していそうな大型店が増え、設置機種も集まるユーザーも東京と似たものとなっています。多くても数軒程度、その地方にしかない中小チェーンなら覗いてみたくはありますが、如何せん設置機種だけはどうしようもありません。「これがあるなら様子を見に行こうかな?」より「別に東京でも打てるし」が優ってしまっている熱量の少なさは否定できませんけど。

で、ふと思うんです。パチンカーの方はどうなのかなって。ホールや地域によって釘のクセが違うとか興味を持って覗くのかなと。またしても隣の芝は青いという話になりそう(笑)。

 

○旅打ちするとしたら?

いまさら旅打ちするとしたら「これがあるなら様子を見に行こうかな?」の上のモチベーションですね。そこに行かなければ打てない珍古台となってしまった場合でしょう。パチスロでは高射幸性旧基準機の撤去問題が棚上げ(2020年1月に設置比率5%とすればOK)されそうですが、検定切れや認定切れで旧機種がハズされていく傾向は変わりありません。「2006年までは旅打ちが好きだった」と書きましたが、まさにソレだったんですね。その最終撤去日まで4号機はおろか、3号機以前を設置しているホールもありましたから。お別れの旅です。

旅打ちの楽しみは人それぞれなので、普通に地元と同じ立ち回りをすることも否定はしません。でも、その方向性だったら、引っ越した気分で多くのホールを見て回るところからですかね。なんか、どこかの雑誌で見る企画になってしまいますな。私みたいなオッサンにはもはやシンドイです(笑)。

何が言いたいんだかわからなくなってきた。良くも悪くも地域性がなくなってきたのは確か。帰省してまで打たなくていいよな……ということで、今年もまた打たず終いで終わったということです(汗)。