毎度。いつもお世話になっておりますあしのです。さて「衒学趣味」というのは「わけのわからん事を言って煙にまく」という意味ですが、前回はそのタイトル通り平和の『宝船』を民俗学的な方向から攻めた結果、自分で読んでも「何言ってんだコイツ」みたいな出来になってしまい大変失礼しました(書いてる時はゲラゲラ笑って書いてた)。

とはいえ「自分でも意味わからん」というのは衒学趣味の方向としては非常に正しい気もするので、あえて軌道修正ナッシングで今一度攻めてみたいと思います。

というわけで今回のテーマは山佐の『クレイジーシャーマン』です。ご存知『サイバードラゴン』の後継機。ゆえにシステムは当然A+ATでした。そもそものサイバードラゴンが名機なので似たシステムを採用したクレシャー(今作った略語)がつまらないわけがなく、個人的には結構打ってたんですが市場に存在した期間はかなり短かかったように思います。理由は色々考えられますが、一番のネックはもっと強烈な機種が巷に溢れまくっていた点かもしれません。

というわけで「結構打ってた」という割にホールで対戦したのはたぶん10回程度で、しかもトータル収支は負けてたと思います。悔しかったですけど、それより俺にはどうしても気になる事がありました。

『クレイジーシャーマン』ってなんやねん。と。

というわけで、今回も考察していきましょう。なお自ら暴露しますとこれ先日同じネタで書いた時、気づいたら八割くらい大川○法のネタになってて自分で戦慄しました。そちらは潔く削除してこちらは2回目のトライになります。もう出てきませんようにエル・カンターレ。

シャーマニズムについて。

『クレイジーシャーマン』を分割して考えるにクレイジーなシャーマンでありましょう。頭の部分のクレイジーに関しては一旦おいといて、まずはケツの部分。シャーマンから片付けて行かねばなりません。

何となく想像が付くかと思いますが、シャーマンというのは「人々と、より上位の存在との通訳・交信役を担う役職」の「総称」になります。あくまで総称であるので、実際の名称は個々の文化によって変わります。例えばケルト民族では「ドルイド」と呼ばれますし、ハイチでは「ボコール」。そして日本では「イタコ」「ユタ」なんかがそれに当たります。中国・台湾にも「タンキー」というシャーマンが現存しますが、本邦の例と同じくどうやら仏教国というのはシャーマニズムとの親和性が高いようです。

んで、各文化のシャーマンに共通するのは一種のトランス状態に入って上位の存在Xと交信を行い、その意志を下達するという事です。これらは民間でまじないの一種として行われることもありますが、はっきりと政治的な意味を持って行われる事もあります。現在のイタコなんかは前者ですが、もっと遡れば巫術(ふじゅつ)の祖と言われる卑弥呼が行う卜(ぼく)によって国の舵取りがなされていた時代もあったわけで、この辺はなんとなくその時世の人類の文化レベルがダイレクトに影響してそうな気がします。

さて、ここまでで「シャーマン」という言葉の意味についてさらりとなで斬りしましたが、この先はそれを踏まえての推論が入ります。テーマはキリスト教圏の人々が持つ、シャーマニズムへの潜在的な恐怖心について。

これ理解するには、魔女裁判について考えるのが一番手っ取り早いでしょう。

ちょっと上の段で俺はシャーマンを「人々と、より上位の存在との通訳・交信役を担う役職」と説明しましたが、これは実は各国で普遍的に信仰されてる宗教の中でたびたび登場する「預言者」「予言者」と同じだったりします。この辺はちとデリケートなゾーンなのでさらっと流しますが、扱われ方は全然違うとは言えやってることは基本一緒です。

そして「魔女(Witch/Wizard)」というのは日本においては黒いドレスを着て箒にまたがって黒猫を連れて空を飛ぶ、魚のパイを運んでくる女の子のイメージなのですが、ここでいう魔女というのは「邪教信奉者」を差します。女性に限りません。キリスト教国に於いて何が邪教なのかというのまで思考の枠を広げると三倍くらい長くなるので先に答えを提示すると、これはキリスト教が駆逐してきた各地の原始宗教及び敵対宗教を差します。

例えば(主にヨーロッパで)の異端審問に纏わる話で必ず出てくる「バフォメット」という邪神は「両性具有」「黒ヤギの頭」「上半身裸体」というかなり冒涜的なイメージで描かれますが、これがとある宗教の預言者の名前のもじりであろいう事は想像に難く有りませんし、同じような「もじり」から出来た悪魔のイメージというのは、大抵過去にキリスト教が駆逐してきた、あるいはその時点で敵対している宗教の「神」「指導者」「預言者」を貶めるものだったりします。「ベルゼブブ」とかが有名ですね。(ただしこれは逆もまたしかりで、グノーシス主義の人々からは旧約聖書の創造神ヤハウェが悪魔のボスとされてるんでお互い様ではあります)。

魔女というのはそういう経緯で出来た「悪魔を信奉する(キリスト教文化内で)異端の人々」で、もっと突っ込んで言っちゃうと「原始宗教の教徒・残党」なんですな。信仰の自由が保証された我々の世界では信じられませんが、当時は「信じるだけで罪」だった宗教も存在するという事です。

魔女狩りの開始は12世紀。当時は十字軍派遣の影響でアンチ・ユダヤ、アンチ・イスラムの気風がヨーロッパ全土を覆っていました。邪教徒が行う悪魔的な集会の事を現在でも「サバト」といいますが、これはユダヤの休日を意味するヘブライ語です。夜な夜なサバトを行いバフォメットを囲んで良からぬ事を企む魔女。これははっきりと敵性宗教の教徒を狩り出していたという事でして、それ以上の意味でも以下の意味でもありませんでした。

そして誤解を恐れずいうのなら、これは結構ありえる事だと思います。

なんせ本邦でも為政者がキリスト教を弾圧してた時期が複数回あります。今やってるNHKの朝ドラでも太平洋戦争中にキリスト者が特高警察に監視されるシーンが入ってますし、平時とは違う時期に綱紀粛正を図る意味でも、またスパイその他の利敵行為を防止する意味でも、敵性宗教の規制・弾圧というのは普通にあることだと思います。

ただ、そんな魔女狩りの毛色が変わったのは15世紀ごろ。魔術ブームが到来してからです。

 

タイミングがすげえ悪い! 『魔女に与える鉄槌』について。

『エノク文書』というのはジョン・ディーという錬金術師が1580年ごろに大天使ウリエルとの交信に成功した記録をまとめた「天使語」で書かれた文書です。今となっては頭湧いてんじゃねぇのと思うのですが、この時代はマジでこういうのが人気でして、このジョン・ディーなんかはあのエリザベス1世に寵愛されてリアル宮廷魔術師になっています(次にジェームズ1世が即位したら速攻でクビになった)。

とにかくこういう時代だったので錬金術や魔術は大いに流行っておりまして、このブームが魔女狩りに斜め上の大変革をもたらします。

つまり、当初は「異教徒」「邪教徒」の隠語に近いものであったはずの「魔女」が、いつのまにか「悪魔と交信して魔術を使うシャーマン」として扱われ始めたのです。

象徴的なのは15世紀にドミニコ会のイカれたおっさんが書いた『魔女に与える鉄槌』というタイトルのトンデモ本で、これはいわゆる「異端審問」のノウハウを記したマニュアルのような本なのですが、それ自体はまあいいとして問題だったのがこの本を書いたクラーマーというおっさんがうだつのあがらない人生の一発逆転を狙ってむちゃくちゃ書いたのを、何故か大学のエライ人がゴーサインを出し、しかも大ブームになった事でした(のちにケルン大学はゴーサインを否定)。クラーマー自体は異端審問部を弾劾されますが、生み出された本自体はその後200年近くに渡り巷で愛読され「魔女狩りの際には殺してもOK」みたいな気風をヨーロッパ全土どころかアメリカまで広げる事になるのでした。

ヨーロッパ人を擁護するわけじゃないのですが、おそらく『魔女に与える鉄槌』が大流行したのは彼らが馬鹿だからという以外にも理由があって、とにかくタイミングが異様に悪かったのです。ひとつは上記「黒魔術ブーム」の存在。そして識字率が爆上がりするきっかけになった「活版印刷創世記」だったこと。あと書いたクラーマー自身共著者に騙されていた部分もあったみたいで、出版当初に「ケルン大学推薦図書!」みたいな感じで大々的にいっちゃったのもマズかったようです。それにより人々の間には「魔女=悪魔の使い(シャーマン)」との認識が広がり、疫病やら失火やら死産やらなんやらかんやら全部の責任を押し付けられた上でバンバン拷問されはじめました。

にしても異端審問官とはいえ人間ですし、そんなに普通に拷問とかできるもんなの?

という疑問もあると思いますが、なんせ当時の教皇は(今度パチンコ化される「とある魔術の禁書目録」にも出てきますが)かの有名なイノケンティウス8世です。興味がある人はググって見ればわかりますがこの人はこの人でだいぶ危ない人だったみたいです。そういう意味でもタイミング激悪ですけども、とにかく上がやれというんなら、下はもう盲目的に従うしか無かったという側面もあるかも知れません。なんせ異端審問のトップは教皇ですからね。

とにかく、これらが総合的にガッチリ噛み合った結果、普通なら売れないハズの奇書が爆発的に売れ、そしてたくさんの罪もないひとびと(主に若い女性)が拷問の末に死んだのでした。これはもう人類史上における、重大な黒歴史だと思います。

さて、ここまでをちょっと小さく折りたたんでみます。

魔女裁判・魔女狩りは初期は「敵性宗教」の教徒をあぶり出すためのものでした。それが時代を経て魔術ブームに乗っかる形で「悪魔と交信して魔法を使うシャーマンを殺す行為」へと変貌した。と。

そしてもともとの問はこれです。キリスト教圏の人々が持つ、シャーマニズムへの潜在的な恐怖心について。

もう一歩だけ踏み込んでみましょう。

 

セイラムの魔女裁判とアメリカンホラー

1492年にポルトガルのコンキスタドールが発見したアメリカ。ほんとはもっと前に全然違う人が発見してますし本人はインドを見ッけたと死ぬまで思ってたんですけどそれは置いといて、とにかく発見されてすぐにイギリスは北から、フランスは南からどんどん植民地化していきます。

そんな中、植民時代のマサチューセッツ州にて唐突に魔女裁判が始まりました。ヨーロッパではすでに魔女狩りがほぼ無くなってる1692年です。舞台となった村の名前は「セイラム」。

そう。セイラムの魔女裁判です。

この名前だけで物好きな人はピンとくるかもしれませんが、例えば『屍鬼』の元ネタとなったスティーブン・キングの小説『セイラムズ・ロット(邦題:呪われた町)』であったり、あるいはネクロノミコンでおなじみの町、アーカムの元ネタになった村ですね。

魔女裁判禍の最後期に行われたにも関わらずこれは世界で一番有名な事件ですが、その内容はざっくり「子供が降霊術で遊んでたら発狂した」みたいな感じで少々拍子抜けします。事件の発覚時点で「降霊術すな」と父親が叱ればそれで終わる話なんですが、間の悪い事に発狂した女性の父親は牧師で、そしてその家にはブードゥ教徒の南アフリカ系の使用人がいました。これはもう拷問の出番です。そして、耐えかねた使用人はとうとう「ブードゥの妖術を使った」と自白してしまいます。

それみたことか。いざ、悪魔祓いの出番だ!

こうして、父親は仲間を集めて儀式を行う事になりましたが当然解決せず。ついには事件が裁判所の耳に入る事になり、大規模な魔女裁判になりました。

この時点でツッコミどころは大量にあるのですが無視します。その後、なんだかんだ200人くらい逮捕されたり処刑されたりしつつ、最終的な犠牲者数は25名。のちに父親とともに悪魔祓いをおこなった牧師は手記にて「わらわれは暗闇の中に道を見失った」と記していますけども、見失い過ぎです。

火のない所に煙をたてて、出火原因を探るために拷問する。ただの集団ヒステリーです。

そして、こんなしょうもない(失礼)事件がなんとアメリカでは「怪談」として語り継がれているそうです。まあスティーブン・キングが小説書いたりしてますし、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』なんかは完全にこの事件にインスパイアされてるんでそういうのを見るとちょっと怖かったりするのですけども。にしても、なぜこれが?

推察するに、アメリカは移民の国であるという性質上どうしても伝統・文化的な発展が葉脈状になってしまい、一本筋が通った「国民全員で怖がるぜ」みたいな伝説なんかが生まれづらい土壌があるのではないでしょうか。なんせお化けがシーツかぶってる国ですもの。……そこへきて、植民時代の因習めいた事件はやっぱインパクトがあったんではないかと思われます。

問題なのは「なぜこれが」です。

若い国と言っても植民時代から考えると結構な年月を経てます。他にもおっかない事件とか色々あったと思うのですが、その中で埋もれずになぜ?

また、セイラムで出てくる使用人が使ったブードゥの妖術。ブードゥはご存知「ゾンビ」の元ネタになっています。ボコールというシャーマンが神経毒を使って作り出す意志のない人間の事なのですが、これはキリスト教圏に於いては「蘇った屍体」として描かれ、ホラー映画のビッグジャンルとしてバッチリ確立しています。割と最近のことかと思ったら1920年ごろから徐々にブームになっており、映像作品としての初出は1932年。『恐怖城(WHITE ZOMBIE)』です。この頃はまだゾンビは屍体じゃなくて仮死状態で動く人間でありまして、ベラ・ルゴシが出てるんで雰囲気はまんま吸血鬼映画ですが、とりあえずこの頃はまだ「ゾンビ」というキャラはしっかりブードゥと一直線上に繋がっていたようですし、かの映画も商業的に成功しました。

そして俺は思うのです。これ怖いか? と。

そう。怖くないのです。ブードゥゾンビは。でもヒットしちゃうし、かの映画は今でもゾンビ映画の祖として崇められております。自分もDVD持ってましたけども、ベラ・ルゴシがかっこよかったという以外にはさして特筆すべき事もない映画でした。その後ゾンビは拡大解釈されてやがてヴァーといいながら襲いかかって増殖する例のゾンビになるのですが、そっちは分かるッス。面白いです。しかしブードゥゾンビはそうでもない。

なんでヒットしたのか。おもうに、コレはある特定の地域の人が見たら怖い系なのです。日本人はその範疇からたぶん外れてます。これこそ今回の本題である、キリスト教圏の人々が持つ、シャーマニズムへの潜在的な恐怖心が影響してるのではないかと思います。

まとめます。

中世の暗黒時代にヨーロッパ全土を巻き込んで発生した魔女狩り事件は、おそらくキリスト教圏の人々のアイデンティティの土台に刺さった杭のようなものだと思います。なんせそれらは一応は神の名の下に行われてきたもので、教会も加担してたのは間違いないのですから。真っ向から否定するのも角が立つし、とはいえ人道的に肯定も出来ない。キリスト教徒である以上、問題の性質からしてどちらに立っても正解はないです。我々は「魔女狩りはあかん」と言えますが、それはお釈迦様が虐殺を命じなかったからです。魔女狩りだけではないですね。十字軍もそうだし、グノーシス系の話だってそう。ケルトも、その他の土俗信仰もそうです。

要するにキリスト教圏の人はシャーマニズムが怖いんじゃなくて【シャーマニズムに対してやってきた事が怖い】んだと思います。

そういう意味ではブードゥの司祭に白人がゾンビにされて使役される『恐怖城』は彼らにしか絶対分からない恐怖なわけですし、またアメリカで起きた魔女裁判事件に唐突に「ブードゥ」という単語が出てくるのにも【シャーマニズムは十把一絡げに怖い】というのが滲み出てる気がします。

んでクレイジーなシャーマンのクレイジー部分ですが、これは「カッコイイ」という意味も確かにあるんですがここは普通に「イカれてる」でいいと思います。

上位の存在Xの声を下達するのがシャーマンだとするなら、神の名の元に虐殺を行うだれそれもまた広義のシャーマン。

要するに『クレイジーシャーマン』とは──……。

……ゲフン。みなまで言いますまい。以上。おつかれ様でした。