勝ったら焼肉。そんな豪快な世代のように見えますが、思えば真逆なパチスロライフを送ってきたんだなと痛感しております。そりゃ、勝てば美味しいものを食べられる余裕ができますよね。ただ、それを実行したことがございません(笑)。

考えてもみてくださいよ? 豪勢な食事をできるということは、それだけ出ているということ。私がパチスロ生活となっていた頃は、世の中のほとんどがノーマルタイプでして。それだけ出ているということは、閉店間際まで打っているということです。お店も居酒屋さん以外ほぼ閉まっています。開いていたとしても、翌日の開店時刻には狙い台の前にはいなければならないので、そうそうゆっくりもできないんですよ。

きっぱり。勝った時のほうが食生活的には貧相でした。そして、勝率が高くなければ続けられない時代だったので、ほぼ貧相な食生活となっておりました。食事休憩も取らなかったし、そりゃ痩せますわ(当時、50Kgくらいだった)。

 

行きつけのホールでもない限り、知り合いもおらんのです。朝から黙々と台に対峙。帰りに寄った立ち食い蕎麦のお店で食券を出しながら「温かい蕎麦で」と言った時に思うわけです。今日、初めて声を出したな……と。声? 当然、裏返ってしまいますよ。初発声ですから。

逆に、負けてお帰りコースの日は時間があるわけです。しかし、種銭がなくなれば終わりの生活。生活レベルを上げようとも思えません。ましてや、財布が軽くなった直後です。ただ、負けた日に見すぼらしい食事では、心も体もひもじくなってしまいます。ええい、奮発して天ぷら蕎麦(笑)。

 

美味しいものを食べるためにパチスロを打つという感覚がなかったんですよね。多くリーチ目を見たいだけというか。多くリーチ目を見るためには高設定に座るのが手っ取り早いですし、そうすると必然的に勝ってしまう。閉店間際まで打つことが増えて、必然的に食事の時間が取れなくなる。ただ、それだけだったように思います。

食事での験担ぎといえば「勝ったら焼肉」などと考えないことですかね。大昔によくあったんですよ。『ウルトラマン倶楽部3』とかで、友人と2人とも朝から快調に当たって。「6だったほうが、焼肉ゴチね」と言ってから2人とも失速。夕刻には居酒屋の開店待ちをすることが。そういうのが続いて以降、焼肉は禁句にしております(笑)。

ちょっと出ればツマミが増えるとか思うようになったのは、ここ10年くらいのことですかね。ただ、勝ち飯や負け飯ということでもなく。勝ったら、行きつけのお店に。負けても行きつけのお店に。まったく行動が変容することはありませんでした。コロナ前の話ですが。今は、勝っても負けても散歩して帰っています。やはり行動は変容せず。

1日単位の浮き沈みで一喜一憂しないということですかねえ。何のコツでもありませんが、心構えとして。