30歳くらいの時って、人間の生活において一番自由な時期だと思う。

20歳じゃまだ青いし、40だと遅すぎる。30こそ、ひとがひととして、一番自由に暴れて楽しくやることができる自分だ。

チワッスあしのです。

俺が「あしの」という名で勝手に活動を初めたのが30代のはじめ頃。当初は自分でやってるブログで好き勝手書いていたのが、何だかんだこうなってこう至る。今はもう原稿料という名のくびきがグイグイきてて、もしくはガキのイマジネーションも失せ、好き勝手書くとか書かないとか、そいういうのも全部全部失くなってしまった。

筆者、いまでこそパチとかスロとかで好き勝手書いて、それを買ってくれる媒体から原稿料を頂いて糊口を凌いでおる。最初はお小遣いの範疇だったけど、取引先が増えていくうちにもう、それで飯を食うようになってる。

すなわち、キーボードでもってカタカタやってる文字の総ては、もう自分の自由な発言とはちょっと離れた場所にある、食い扶持のなんかなのだ。

こうなると総ての言葉はもう商業になってしまうし、それはそれで全く構わぬぜ、みたいに強がっていても、若かりし頃の似たような文章を目にするにつけ、なんだか眩しいような、羨ましいような気分になる。一方で、なんかよくわらんけども、希望みたいなのも、ああ、見えてくるのさ。

以下、2012年ごろに書いた文章。同棲していた女が浮気してどっかいった直後のエントリーだ。

*****

隣に誰も居ないベッドで目覚めて、そんで草木みたいな静かな気分でPCに向かって、どうでもいい事を書いたり、スカイプでペコペコしたり。俺は一体なんのために生きてるんだ? たかだか同棲相手が居なくなっただけで、ここまで生活から彩りが失せるとは。 つい三日前までの自分がどれだけ恵まれてたか、嫌でも思い知らされるよ。 が、こういう時こそブログを書くんだよ。そうだ。吐くんだ。思いの丈を。頑張れ俺……!頑張れ……!

女性にはなかなかわからん話になると思うけど、男の股ぐらにはチンコが付いてるので、これが何気に厄介だったりする。俺なんか女性の胸を見ると「そんなもん胸にくっつけて、狭い所とか入るの大変だろうな」とちょっと思う事があるけど、同じように女性も男性のズボンがモコってたりするのを見ると「自転車乗るときどうやってんだ」とか疑問に思うらしい。

実際前聞かれた事あるものね。

あれは高校の頃だよ。俺は弦楽部というのに所属しておった。ギター弾けると思って入ったけど、楽器はマンドリンしかなかったんで、しょうがなくマンドリンでチョーキング(無茶)の練習したりしてた。んで、そこがギター部ではなく実質マンドリン部だというのがハッキリするに連れロック感を求めて入った野郎どもは次々と辞めていき、二年になる頃にはもはや男子生徒は俺と後二人くらいしか残ってなかった。
マンドリンは女の楽器なんだよ。

妙な偏見だと思うかも知れんが、いや、実際これは日本全国の弦楽部の生徒が思ってるはずだよ。

俺なんか女性生徒に囲まれてニコニコしながらマンドリン弾いてる時、ちょっとオカマ言葉になってたもの。
だいたいマンドリンって名前からしてなんか卑猥だし。マンの後にドリンッって。なんか垂れてるからね。ギターとかは名前からしてギンギンなんだよ。ギターっ!って。勢いがあるじゃん。尖ってるよね。でもマンドリンは完全にヌラヌラしてる。
ドラムとか男感が半端ないよ。ドラムだぜドラム。努羅夢とか怒裸無とか、どんな当て字しても完全にスタンディングしてるもんね。
やっぱあるんだよ、楽器には男とか女とか。

でだ。

マンドリンってのは、小さいんだよ。ギターやってる人は分かると思うけど、ギターはこう、座って練習するときなんかは腿にガッとボディを乗っけて、よっぽどブリッジ側のフレットを抑えたりするのではない限りは背を伸ばした状態で弾く。
一方、マンドリンは小ちゃいので、腿に乗っけると始終前かがみになる。なので、正しい姿勢としては右手の肘あたりでボディをおさえ、腹筋あたりで支えながら弾く感じになるのである。腿から浮いてんのだ。ちょっと。これは結構キツイので、足台っつって、腿の上にちょっと台みたいなのをのっけたりすることもあるんだけど、もっと簡単な解決方法が「足組み」なんだよね。

つまりマンドリンってのは足を組んで弾く事が多いのです。
少なくともその弦楽部ではそうだったんだ。
プロとかの意見聞くとまた違うのかも知れないけども、音大卒の顧問がドヤ顔で指導してたからマジなんだろう。

さて。想像してみて下さい。
女の子が10人くらい。
そんで男が二人とか三人。
ぐるっと車座になって、足組んで、その上にマンドリン乗っけて弾いてんのだよ。
どうよ。何か気づくだろ? 紳士なら。

そう。正面の女の子の足がスゲー気になるんだよ。
見えそうなんだよパンツが。てか見えるよアレは。嫌でも。
ましてや性に貪欲な高2の男子だからね。んで弾いてる楽器がマンドリンだぜ。垂れてるんだよ。ドリンって。
激エロ空間だろ常識的に考えて。これ。取締りが必要なレベルでチンコがやる気出すからね。
んでマンドリンのボディの振動の微細さも相まって、なんかもうマンドリン弾いてるとき常にスタンディングしてた気がするよ。
もうそのイメージしかないわマンドリンには。

で、俺のそのスタンディング状態には周りの女の子も気づいてた。
そりゃ気づくよ。15秒に一回くらいポジション調整してたし。
こう、楽譜捲るフリしてサッとチンポジ調整。
足を組み替えるスキにポジション調整。
顧問がなんか喋ってる時とか、皆の目がそっちに向かうからポジション調整し放題だからね。チャンスゾーンだったよ。

んで、ある時だけど、部活で仲よかった女子から普通に真顔で聞かれた。

「ねえ、それ邪魔じゃないの?」

それ。つまり我が親愛なるチンコの事だよ。
普通聞かないよこんなの。
結構可愛いコだったぜしかも。
多分本人もすげえ恥ずかしかったと思うんだよ。
でもそれを押して質問せざるをえないくらいチンコ勃ってたんだよ俺。

「邪魔だよ」

普通に答えたよ俺も。
女の子は「あー」「わかるわかる」みたいな顔で同情的に頷いてくれたよ。
ゼッテー分かんねぇだろ。付いてねえとこの邪魔さはわからんよ。
さらにその子は聞いてきた。

「自転車とかどうするの」
「なにが」
「邪魔じゃないのそれ」
「邪魔だよ」
「痛くないの?」
「痛くはないよ」
「潰れないの?」
「はぁ?」

どんだけシモツキなんだよ俺のきんたまは。
そうか、つまり彼女は本物のきんたま知らないんだよ。
どのへんに金玉があるのか、具体的な場所知らないんだ。
だから座ったら常にきんたまが潰れてると思ってんだよね。
なるほどなー。そうだよね。女子にはわからんよこれは。

「いや、潰れない。もっと上についてるから」

これエロゲーとか薄い本とかならフラグ立つよこれで。
じゃあ見せあいっこしよう!とかそういう話になるよ。
でもその女子は「あー」「わかるわかる」みたいな顔して納得するだけで終わった。
絶対分かんねえだろ……なぁ……!

んでな。ポジション調整というのは、これはいくつかの意味があるんだ。
類型化してみよう。

1)勃ってるのを隠すため。
2)金玉のムレを防ぐため。
3)なんか痒くなってきたから。
4)皮が毛を食ったから。

1-3は何となく女性でも理解出来ると思うけど、確実に理解できないのが4だと思う。

まず(1)勃ってるのを隠す。
これはそのままの意味だよ。
チンコってそれ自体が大いなる遺志を持っているかのように、勝手に勃つことがある。
原因不明なんだよ。一体何に反応したし、と自分で突っ込みたくなる事もしばしば。
若けりゃ若いほどだよ。
中学生とかはもう授業中に「封建制度」って文字をノートに書いてる時とか、気づいたら勃ってたりするからね。
困惑しながらチンポジ調整するしかない。

つぎ。(2)きんたまのムレを防ぐため。
これもそのままの意味。フェイクレザーの椅子とかに座ってると玉袋がムレて伸びて足の付根にくっつき、モモンガみたいになる事がある。
痛いとか痛くないとかじゃなくて、なんか具合悪いんだよこれ。本能的に「あ、金玉に異常発生」ってシグナルが発せられるんだね。殆ど無意識にチンポジ調整する。

三番目。(3)なんか痒くなってきたから。
チンコとか金玉って、原因不明にちょっと痒くなる。
んでポリポリかけるならそれでもういいんだけど、やっぱ恥ずかしいんで、ちょっとポジション調整するフリしてひとポリする場合がある。
厳密にいうとこれはポジション正してる訳じゃなくて掻いてるんで、すこし邪道。

最後。これが問題。
(4)皮が毛を食ったから。
これはねぇ。もう女性には絶対わからんと思うんだよ。
チンコって周りに皮があるでしょう。
この皮の間に、毛が入り込むんだよ。
この状況を「毛を食ってる」と表現する。
体育の後とかちょっと見ると、蕎麦でも食ってるのかと思うくらい毛を食ってる事があって衝撃を受けたりする。
んでこれ痛いんだよ。毛が引っ張られる感じも痛いし、食ってるチンコの方もダメージ受けるからね。

誰も得しないんだこれ。みんな損してるんだよ。チンコも毛も。毛が生えたばっかの時期とかなんで痛いのか良く分からなくて、イラっとしながらチンコみて爆笑したりするからね。誰しも通る道だよこれは。

慣れてくるとポジション調整するフリして毛を吐かす。これも厳密にいうとポジション調整とは違うんだけど、思うにポジション調整の理由の八割くらいはこれだと思う。
みんな言わないだけで、ね。

***

以上。くだらない。ああ、くだらない。10数年くらい前に書いたやつをタイムマシン(ウェブサービスでそういうのがあるのだ)でひっぱってきたけども、ああ、若いよね。これはこれでとても勢いがあっていいと思うし、こういうのが好きで読んでくれるごく少数の人にとってたまらんのを提供してる感はある。ただびっくりするのが、いよいよおっさんになって今、これを「ああ若かった」とか「当時は怖いものがなかった」みたいに思う気持ちとか、そういうのが一切ないのがアレだなと思う。

ただただ「下手くそだな」とか「このネタだったらもっと笑えるように書けるよね」だ。

実際これを今書いたとして、もっと面白く書けるかどうか知らんけども、ただ若い時の自分に負けたくないというのはすごくあって、ライバル視しておるのだ。自分をね。だから俺は、当時の自分のエントリを極力読まないようにしてきて、そして今にいたる。そもそもからして人の文章を読まないゆえ、俺にとってライバルは常に自分であった。そうなる前はしつこいくらい自分の書いたやつを読んでは批評して、ダメ出しして、そうしてやってきたけど、この10年くらいそれをしてなかった。何故か? 簡単だ。

人の成長より、劣化の速度の方が早いのだ。なんかのタイミングで、若い時の自分がとてもまぶしくなってしまった。

物書きをする人は全員そう思ってると思うけど、自分が成長するより、最高潮の時点から劣化していくスピードの方がはるかに早い。誰よりも上手くなりたいとか、どういうひとになりたい! というのは若いウチだけで、ある時から過去の自分が敵になる。バカバカしい、と思うかも知らんが、これはとてもとても怖いことで、これに負けて物書きを辞める人も、おそらく相当数おる。昔の自分の文章を読んだ勢いで語る。いいかい、ジジイどもよ。俺を含めて、これを読むあまねくジジイよ。

若い時の自分には、おそらく俺らは勝てない。絶対にだ。勝てない。

当時の俺らは勝とうとしてないくせに、いいパフォーマンスしとるんさ。でもね。いいかい。それに嫉妬しても、全く何も意味がねぇ。意味がねぇのだ。じゃあね。いいかい。じゃあね。だよ。どうせ勝てないなら勝てないなりに、お前らの老獪さを活かして、いい感じに勝負すれよ。と思うね。俺なんかクリエイターだからずっと若い頃の自分との戦いだからね。そして勝ったことなんか一回もないよ。だって若さって、それだけで最強の武器だからね。あまりに強すぎて、勝ったことなんか一度もない。負けて負けて負けて、ずっと負け続けて今に至る。これ読んでるジジイもいっぱいいると思うし、ジジイになりかけの俺みたいな人間もおるよ。いいかい。他人なんかどうでもいいんだよ。

常に、ライバルは自分。勝とうぜ。当時の自分にね。なぁ!