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小学校の頃なんだが、音楽の授業で「エーデルワイス」を習った。

エーデルワーイス、エーデルワーイス♪……というあれだ。友達のSくんというのがそれを聞き、なんか思いついたのか「屁ェ出るわー屁ェ出るわー」と歌いはじめ、なんかツボった俺は「屁ェ出るわてェ!」と腰砕けになりながら大爆笑しつつ真似して歌ってたところ、音楽の先生(小学校だけど音楽だけ教科教諭が違った)がマジでむちゃくちゃブチ切れた。んで言い出しっぺのSくんはそのタイミングですごい真面目な顔で「エーデルワーッ!エーデルワーッ!」と誰よりも大きな声でちゃんと歌っており、あたかも俺が「屁ェ出るわ」の替え歌を作った戦犯の扱いになりみんなの前で吊るし上げを食らうことになってしまった。

その時に俺は「理不尽」の意味を学んだのだけども、この「屁ェ出るわ事件」と同じことがいまパチンコ業界で起きている。そう、ステマ規制だ。

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ちょっと今週は引っ越しと仕事の繁忙期がバッティングしてしまいバタついておって全くネタが用意できておらず今オンタイムでガーッとここまで書いた。なんとなく書いてる最中は「大丈夫、オチまで走り切れる」と確信してたんだけども、頭をいくらひねっても「屁ェ出るわ」と「ステマ規制」の繋がりがつかず、ここで筆を置いた次第。キーボードだけど。

んで今回はこの状況を逆手にとり「ライターのお仕事」というネタにしようと思った。

みんなライターの仕事の、その「作業内容」についてどういうふうなイメージを持ってるのだろうか。ライターと横文字にするとややフェザータッチな印象があるけど「文筆業」であることは変わらず。文字で飯を食うという意味では小説家とか脚本家と同じベクトルにいる。従ってイメージとしては「ちゃんと文章を考えて書いてる」という印象を持ってる人も多いと思うけど、実際のところ、年間に書く文章の8割くらいはそんなに考えて書いてない。お前だけじゃと思われるかもしれんが、そんな事はない。下手したら俺はまだ考えてる方かもしれんとすら思う。俺の場合、とりあえずは関係ありそうなネタを散りばめつつ「考えながら書く」というのが状態化しており、なんならこの文章のオチも全く考えてない。人によってはオチすらままならぬ感じだし、そういうのを含めて俺はまだマシな方だと思う。文筆業のプロとしてその他の職種の人と一線を画するのは、この「考えながら書く能力」であると思う。言い換えるなら「無理やり内容に意味をもたせる能力」とでも表現しようか。

要は一個一個しっかり構成したりせず、与えられたお題やらネタから刹那的にオチまで「行ける」「行けない」を判断し、行けるならそのまま考えつつ頑張る感じ。

んで文筆業者、特にコラムをメインで書いてる人はこの「オチまで行けるかどうか」を直感的に判断する能力に長けてると思う。筆者も一週間に最低でも8本くらいコラム書いてるけど、正直なところキーボードを打つ時間よりも「行ける」「行けない」を考えてる時間の方が遥かに長い。んで長いだけあって実作業で困ることはほぼなく、なんだかんだ書き始めたらスイスイ進んで気づいたら終わる。今回の場合は「屁ェ出るわい」からスタートして「ステマ規制」を論じれられるとプロの判断により脳内ゴーサインが出た結果書き始めたのだが、まあ考えてもなんも出てこんかった。

で、これから重要なのだけども、「ああこれ無理だわ」となった瞬間に「頭とケツにアスタリスク(*)を10個くらい打って例文にし、それを元にライターはそんなに深くものを考えて書いてねぇというネタにしよう」と再構成し、それでその通りこのままスイスイ来ておる。当然オチをこういう形にするのも書きながらサクッと決定してるし、なんなら無理だったらこういう形にオンタイムで修正できるから「ライター」なのです。なのです!(確認)

というわけで引越し作業ほぼ完了。今日はうちの猫がいよいよ新居で初めてのウンコをした。テレビの壁掛け工事とキッチンカウンターの設置もOK。バーテーブルも作ったし人生初のウォシュレットも体験した(いままで頑なに使ってこなかったけど家につけたから使った)。仕事スペースは完成。ゲームとかは土日でやる。組み立てが必要な家具も大量にあるけども、来週くらいにはほぼ生活まわりの諸々は整うと思う。バタバタのなか、上野より。おつかれさまでした。