2004年はパチンコにとって大きな意味を持つ年だった。
それまで確変継続率は50%を超えることは許されていなかった内規が緩和され(時短はすでにあった)、同時に初当り確率の下限が1/500にまで下がったからだ。
もちろん、これによって連チャンは派手になり、ハマリも当然深くなった。いつの世も規制と緩和は繰り返すってわけですね。

自分がこの大ヤマト2を初めて打ったのは、当時のパチンコ必勝ガイドで人気だった「シマ占拠」という企画。その時はすごいハマリも特大の連チャンもせずに楽しんだように思う(収支はノリだったかも)。

ただ、やっぱりハマっている間の間延び感はあって、すでに2回ループ(初当りが1/400で確変突入率が1/3)のしんどさを知っていた自分は、以後プライベートで触る気にはならなかった。
同時期に打ったのは、出玉は少ないものの初当りが1/317の釣りキチ三平(継続率は79パーセント)や、右打ちで回せたおそ松くん辺り。
理由は「初当りが稼げないと試行サンプル増加に時間がかかり、ある程度にせよ収支が落ち着くまでにとんでもない期間を要する」そんな見立てからだ。

最後にこの機種を打ったのは2005年の暮れだったかな。華々しくオープンした繁華街の店が年数を経て左前になり、寂しい状況の中だったように思う。
ちょうどこの年はライターとしての仕事が飽和状態になり、プライペートの稼働が100日しか取れなかった。例を挙げると、夜のお勤め中に寝てしまい「アンタ、いま寝てたでしょ」と相方にしかられたり、原稿を書きながらワープロの上に突っ伏して意識を失ったり…。ムリしてたんだろう。

ガイドの日記では「むしゃくしゃするから荒い台だ!」なんてこの機種の実戦を書いたけど、回りは状況の割に良くてほくそ笑んでたら、いざ大当りしてアタッカーがフルオープンしかねない台だったりしたのを覚えてる。
まあ、電サポ関係は普通で勝ちましたけどね。
今もパチンコの規制と緩和は続いている。
ヘソの賞球数なんて、なんで4個から3個、はては1個戻しになったんだろう。
行政に不信感も覚えてしまうし、荒さでアピールして客を減らし続けたのを知りながら、(台所事情が大変なのは重々承知の上で)今も射幸心に頼るホールには一考を望みたい。