今回は、パチンコとは離れ、私が経験をした仕事の事を紹介します。仕事とはスポーツだ、あるいはクレーム処理だ・・最後、血尿が出るまで17年間自分でもよく頑張った、と思います。

○○年前、大学を卒業後は地元にUターン就職をしました。田舎ではまずまず大きいスーパーに、です。

会社には、まだ高度成長期の名残のようなモーレツ社員がおられました。そんな中、右も左も分からない若造が飛び込んだわけで、当時はこれが当たり前?と思って仕事をしていました。

まあ、今から思えば完全にブラック。いろいろ大変なことばかり、な思い出ですが、何が大変だったかを綴ってみます。

極度の緊張の中、初出社してまず研修です。日用品の売り場を担当しましたが、そこの主任さんがもう怖くて怖くて。

朝のグループミーティングでパートのおばちゃんに容赦なく怒鳴るのです。空気が響いて耳がキーンと聞こえなくなるくらいの怒号で。

靴のサイズ30センチの見た目ゴリラーマン。日用品の売り場は4階でしたが、5階の売り場にいて下のフロアからゴリラーマンの怒号が聞こえてきたこともありました。これを想像してみたら、いかにあり得ない状況かお分かりいただけるかと。お客へ怒って書いた始末書数えきれん、とも言ってました。

その後、正式配属は玩具売場になりました。いわゆるおもちゃ売り場って、楽しそう?いえいえ、地獄でした。

まず、ここの主任さんは歳が一つしか違わなかったのですが、まああり得ん自分に甘く他人に厳しい香水プンプンの完璧主義者でした。

朝のミーティングで、キティちゃん売場担当の若い女子社員にも「今月の在庫予算は?」で、答えられないと「あなたは仕事を何と考えてるのですか?」万事がこの調子でした。上司に対しての外面は非常に良かったのですが、だんだん仕事は私に任せて自分はバックヤードで読書とかしてました。レジに立ってると、邪魔と言わんばかりに足で何度も押して来たりしました。

毎日サービス残業が当たり前でしたが、友人と麻雀やる日は私に「いつまでもだらだらやってもしょうがない」とか言ってとっとと帰ってました。と言いながら、営業終了時間が18時30分だったのに関わらず麻雀無い日は22時は確実に回りました。

1年後、隣町に新店ができて異動していきましたが、そこのパートさんも「あんな融通の利かない変人初めて見た」と言ってました。

この間、辞めたくて仕方がなかったですが、パチンコによるストレス発散によりなんとか持ちこたえました。

主任になってその後もまあ、売り場は戦争でした。

玩具売場と言っても手間暇かかる周辺商品だらけです。特に自転車。春と秋にあるサイクルフェアの時は1階の店外店頭にもズラっと並べます。入荷時はビニールに包まれハンドルが曲がってベダルは外してありますので、1台1台これを直します。毎日早朝出勤し店内から出して並べ、閉店後はまた戻し。売れたらブレーキ調整や配達伝票、防犯登録など。というか安っぽい自転車を1万円均一で売り出しますので飛ぶように売れました。

結果、「まだ着かん」と電話でクレーム(自転車は重ね置きできないので、運送しにくくよく後回しにされましたし、入荷時は搬入所担当者からも早くどかせろ、と言われました。)。「ブレーキかけると異音がする」クレーム。クレームは販売台数に比例します。そりゃ、安い自転車なので作りも雑。入荷時点で塗装にキズなんて当たり前、全部塗料で塗りました。社有車に自転車乗せてお客様の自宅まで何度クレーム対応で行ったことか分かりません。

「息子がオタクで買った自転車乗ってて、タイヤから空気洩れ、こけて学生ズボンが破れた。明日学校に行けん。どうしてくれるんじゃ?」と怒鳴られたことも(サイズを聞いて自腹で購入しました)。

海水浴用品や花火なども店外店頭販売。担当の売り場が1階と5階なので、1日何度も往復します。暗く狭い従業員用階段を1段抜かしで一気に駆け上がります。他の従業員を多分千人以上抜きましたが、抜かれたことは1度もありませんでした。運搬専用エレベーターも使用中を待つ時間などありません。自転車を担いで1階まで何度降りたでしょうか。

年末年始はさらに地獄です。11月、レジを3台増設し、レイアウトを変え、クリスマス演出をするために店休日出勤します。事前準備で板や牛乳ケースなどは誰も居なくなった残業時に確保します。レジでは1日中ギフト包装をするため指の指紋が無くなりました。臨時のアルバイトは慣れてないので、2千ピースのジグソーパズルとパネルの同時包装を手間取るのですが、こちらも忙しくて手が離せない。人間大のぬいぐるみの包装も同様です。向こうのレジながらいらいらのお客様の心の声が聞こえてきます。買う予定だった商品をその辺にポイして居なくなる、茶飯事でした。

この、レジ対応でお客様を待たせない気配りのストレスは未だ夢で見ますね。長~いレシートのとある一商品の値引きができていない、と、レジ横に立つお客様のお顔を拝見して、もう分かりましたね。

足元に一杯になったギフト包装後の一時預かり品は、もう中身が見えないのでどれがどのお客様の分か分かるようにしないと大変なことに。子供さんの要望のおもちゃ目当てなので、お昼休憩にレジからバックヤードなど行ける訳がありません。「仮面ライダー変身ベルトはありますか」と直ぐに呼び止められるから。というか、終日レジ前は行列です。なのでお昼抜きです。

やっと、閉店時間です。1人でレジ4台分の清算をします。まず、違算が出ます。で、違算報告書を書きます。違算の原因?、担当してないレジの分など・・・バイトが抜き取ったと思われることも・・

そして、ひっちゃかめっちゃかになった売場の商品整理と補充をします。狭いバックヤードゆえ、下の階に保管ならまだいい方で、この時期ものすごい物量にて、店舗から1キロ離れた寮の空き部屋保管分から運搬、なんてことも。18時半閉店ながら帰宅時間は日をまたぐことも普通です。これら、全部私一人で、です。他のフロアは複数の社員同士しゃべりながら残業でしたが、私のフロアの5階は私一人でもくもくと、です。上司など知らぬ間に帰ってます。というか顔を見せたことすらありませんでした。

年末の時期は、早朝6時より食品部門の品出し応援を割り当てられるのが普通。また、従業員駐車場もお客様に開放するため各々探して停めることに。穴場を確保するためには早朝に増して早朝出勤必須にて、帰宅時も出勤時も真っ暗なため通勤車のライト点灯が普通でした。というか寝る時間削られました。また、いつしか店舗敷地内の駐車に対し駐車料金を天引きされました。

繁忙期はそれに比例してクレームも多い。お酒の匂いプンプンのスキンヘッドオヤジに「このラジコンは充電器が別売りになります」と言ったらブチ切れて私のネクタイを引っ張ってこっちへ来い!と怒鳴りちらしてバックヤードに入り、事務所の椅子を蹴りまくった、なんてこともありました。

12月25日の朝は恐怖です。この日の朝、子供さんがクリスマスギフトを開け、おもちゃのスイッチ入れるも作動しなくて親御さんから電話で怒号浴びせられたことありました。「子供の夢を壊す気か!あんたんとこは動作確認もしてへんのか」即交換品持参するために、電動玩具は売り切れないように1個確保しておきます。ラジコンが動かない場合は得てして電池切れが多かった、ですが。

25日でクリスマス用品と装飾は撤去してお正月向けの売り場に替えて一段落、できません。26日の年内最後の休日は、お正月のチラシに入る福袋の準備と机の組み立て、陳列のため、私服でサービス出勤です。絶対に風邪などで休むわけにはいきません。

大晦日までみっちり働いて、店休日は元旦のみ、2日から出勤。この日は玩具売場が花形、つまり全部門で1番の売り上げとなります。お年玉の千円札がレジに入りきらなくなります。てんやわんやですが、ギフト包装不要で、お子さんの目的買いなのでクリスマス商戦よりはマシです。この時ばかりは本部応援者が入りますので要らぬ気を使います。「テクマクマヤコンコンパクトどこ?」まあ、振り回されます。鼻の頭が痒くても掻く暇がない忙しさでした。

明けて1月中旬、元日以降初の店休日も出勤です。売り場レイアウト変え、三月人形の七段飾りの陳列です。外は雪です。しんしん降り積もる中もくもくと、まず天井からPOPを付け、平台並べ、電線を引き、足を組み立て、赤い毛氈を敷いて、人形とお道具を完成写真を見ながら陳列します。後で元通り片づけるため、どの小箱にどういう向きで何が入ってたか憶えておく必要もありました。これが終わってやっと、ホッとできました。

そして、この七段飾りが売れましたね。日曜日や大安の日は雪道を田んぼとの境界が分からないような山奥とか脱輪しそうになりながら、また、大雪で渋滞に巻き込まれながら、時には組み立ててくれ、と言われながら配達人になりました。

ガラスケース入りの人形の遠方配送は他業者に依頼していましたが、何度も割れてたクレーム受けました。この時期の電話はパートさんは怖がって取りませんでした。なんせ、良かれと思って贈った先から連絡を受けた送り主の心情として、もうカンカンだったからです。運送会社でなく、こちら店員にカンカン、です。

その都度運送業者の所長さんが謝りに見えましたが毎回人が変ってたという。やがて、もう運送業者への依頼は止め、私が仕事帰りにに運搬できる範囲にのみ受け付けることにしました。これもサービス残業なのは言うまでもありませんし、世にファミコンが登場した時は、毎日のように「TVに点かない」と電話があったため、仕事帰りにTVとの接続に訪問をしたものでした。「直ぐに来い」いやいや、日曜の日中になど到底外出する余裕などなく、どうにか夜まで待って頂きました。

机の配達では、箱に2人でと書いてあるもそんな人員に余裕あるハズもなく、一人で旧屋ゆえ段が前のめりな階段を子供部屋の2階まで持って上がって、外は雪が降っているというのに汗だくになりながら組み立てました。なんせ、パートさんが16時30分で帰ってしまうので、それまでに戻らないといけませんでしたので常に焦ってました。玄関から入らなくて玄関枠をハズしてから、なんてこともありました。

ドラクエ、たまごっち・・超ヒット商品が世に出た時、よく従業員から「1つ取っておいて」と言われましたが絶対に断ってましたね。恐らく融通の利かんヤツ、と思われてたと思いますが、従業員特権は私が1番嫌いなことでしたので。

宝飾品フェア、スーツのイージーオーダーキャンペーン、お中元、お歳暮、クリスマスケーキ・・全てノルマがありました。自分のノルマを達成してもダメ。グループリーダーとしてグループのノルマを達成して初めて、バックヤードの通路に張り出された棒グラフに赤いバラが付きました。毎朝、「売って売って売りまくれ!」と掛け合いコールやらされたりもしましたね。従業員皆、売れなかったら自分で買って給料が目減りすることが普通でした。私は、パチンコの副収入でなんとかやりくりしてました。

店休日は火曜日。なので今度の火曜日は皆でテニスしよう、という話あるも、大抵は主任会議で遠くの店舗行きによる出勤、なんてのは未だに、女子従業員と仲良くなるチャンスをみすみす逃した(何気にテニスは市内大会優勝経験あるほど得意でした)悔いが残ってます。

基本、辞める人多発も補充無いのが常。レジ前に10円のアメを持って並ぶ子供さんの後ろに並ぶ寝具の布団を持ってるお客様に対応しつつ、レジ横に運んだ自転車のお持ち帰り調整をしつつ、お客様が空いたら文具の品出しをレジにお客様が来ないか様子を見つつした後、文具と玩具の発注作業をする、という一人で何役も、となっていきました。

やっと仕事が終わって駐車場へ行き車に乗った瞬間、バタっと何度倒れたことか分かりません。

さて、ここまで長文を読んでいただきありがとうございました。大変だったこと(の1部)を羅列しましたが、次回はお口直し(笑)に、ちょっと良かったことを書く予定でいます。