「俺じゃあ役不足ですか?」

日本語の誤用の代表例として、しばしば文化庁の世論調査やテレビなどで取り扱われる文言です。

役不足(やくぶそく、やくふそく)の本来の意味は、演劇などで演ずる俳優が、その演目での役割に不満を持つこと。つまり、役者の力量に対して、役目が軽すぎることを言います。たとえば、東京大学法学部を主席で卒業後、国家公務員Ⅰ種試験を合格して警察庁に入庁した杉下右京が、卓越した能力を持つスーパーコップにもかかわらず、警視庁で「陸の孤島」と揶揄される窓際部署・特命係に左遷されて燻っているような状況…と説明すればわかりやすいでしょうか。まぁ、杉下右京の場合は明らかな「役不足」の状況を逆に楽しんでいるような節もありますが、バリバリのキャリア組を窓際部署に遊ばせておくのは役不足と言わざるを得ません。

 

一方、役不足という言葉を誤用する人は、本来の意味とは逆の意味で使うんですよ。つまり、自分の能力に対して役目が重すぎる…というね。

実際、文字産業(雑誌や小説、漫画など)にも、時として誤用を発見することがあります。日本語のプロであるはずの編集者が見落とし、さらに校閲部のチェックすらかいくぐって世に出てしまったわけですから、ある意味でこれは貴重なミスかも知れません。

 

「帯をギュッとね」河合克敏/小学館

 

「はじめの一歩」森川ジョージ/講談社

 

「影武者徳川家康」隆慶一郎/新潮社

 

現在、私の手元にあるのはこれだけですが、昔の単行本とかを見直せばもっと多くの誤用を確認できると思います。

 

ただね、もしかしてこれらの作品って、意図的に誤用してるんじゃないか…とも私は思うんです。これらのセリフを正しく言い換えるなら「役不足」ではなく「力不足」。各作品の該当部分を力不足に変えて読み下してみてください。すげぇ違和感を感じるから。「俺じゃあ力不足ですか?」って、なんだか読み手に響かないというか、軽い表現のような印象を受けるんです。それなら、むしろ誤用と知りつつママイキにして、作者の意図を伝えようとしたのかなぁ…と。そう考えれば、多くのプロの目をすり抜けて世に出たことにも納得がいくんですが、これは私の深読みでしょうかね?

 

ところで、「俺じゃあ役不足ですか?」を誤用と知りつつ、それを読者(視聴者)に突っ込ませないために別な表現に変えた例もあります。たとえば「涼宮ハルヒの憂鬱」がそうです。

アニメ版・涼宮ハルヒの憂鬱には「エンドレスエイト」という狂った話があるのですが(具体的には同じエピソードを8週間繰り返す。いわゆるビューティフルドリーマー回)、そこで古泉一樹が毎回必ず「…冗談ですよ、僕では役者が不足しています」と語るんです。

夏休み後半の無限ループがハルヒの仕業だと気づいた古泉が、夏休みの心残りを解消しようと、キョンに「涼宮さんの耳元でアイ・ラブ・ユーを囁いてみてはどうか」と提案し、キョンが断ると「それなら僕がやってみましょうか」と続け、憮然とした表情で黙り込むキョンに返したのが、件の「…冗談ですよ、僕では役者が不足しています」のセリフです。

つまり、古泉は「自分にはハルヒを満足させる能力がない」と言いたかったんでしょうが、力不足では微妙にニュアンスが違う気がします。かと言って、役不足は日本語の誤用になる。ならばと考案された造語が「役者不足」なんじゃないかと。造語につき、もちろん辞書には載ってません。つまり、厳密に言うなら役者不足も誤用なんですが、そもそも造語なので「役不足の反対の意味」で使っても特に問題ないんじゃね…というわけです。

これには深く感銘を受けました。正直、私は「自分の能力に対して役目が重すぎる」という意味を文章として書く際に「力不足」は使いたくありません。理由は、前述したように「軽すぎるから」。日本文化は侘び寂びがあるべきだと思うし、誰にも確実に正しい意味が伝わる「力不足」は、個人的には趣に欠ける気がするんです。そう、我々日本人は想い人に「月が綺麗ですね」と、恥じらいながら告げるくらいが丁度いいのよ。

 

でまぁ、私も以前、浮草家計簿(パチスロ必勝ガイドMAXで連載中のパチスロ日記)で、自分の力が不足しているという意味で「役者が不足している」を使ってみたんですよ。

すると、担当編集が速攻で赤を入れて突っ返して来ましたね。しかも、私が最も避けたかった「実力不足」という文言に直して…。ご丁寧にも「誤用である事実とその理由」を詳しく書いた上で著者校に戻したということは、私の意図なんてまるっきり考えちゃいないのよね。「役者不足」が正しい日本語じゃないのは百も承知だし、「役不足の反対の意味」を意図して使ったのに、単に言葉の間違いを正すためだけに赤を入れるんじゃあ、膨大な時間をかけて言葉を選んだ著者が報われないってものですよ。

結局、この時は担当編集に直談判して元の表現に戻してもらいました。涼宮ハルヒをオマージュした表現だと言って交渉したら、意外にもあっさりと納得してくれたので、担当編集もあまり深く考えてなかったんでしょうね、たぶん。

 

 

今回のオチ…というか宣伝。

 

 

私の記名原稿には、表現のこだわり(…というかネタ)がたくさん詰まってます。前述した涼宮ハルヒのネタもそうですけど、私が目指すところは「知ってる人が読めばクスッと笑えるけど、知らない人が読んでも違和感がない文章」なので、もしも私の連載を読む機会がありましたら、そこらへんにも注意して読んでいただければ望外の幸せです。

現在の連載は2本。ガイド本誌の「回胴絶景」とガイドMAXの「浮草家計簿」ですが、特に後者にはいろんな仕掛けがありますので、2回くらい読み直していただくことを推奨します。元ネタに気づいてくださった読者さんには、惜しみない拍手を贈ります。

 

それではまた次回!