統一テーマコラムのお題をいただいて、稼働と食事について考えてみたのだけれど、思い浮かぶのは勝った時ばかり。
う~む、自分の場合、都合が悪い記憶は無意識に消去したい人の性で、負けた時の飯は頭に残りにくいのかもしれない。

あっ、強く記憶にあるのは「大勝ちで浮かれてパーッと」より、しんどい日々を抜けて「ふぅ」と安堵した物ですね。
大海物語M55Wという機種で10万コースを三度も出しながら、あわや月間マイナス? の危機を乗りきった時とか。
あの日はスカパーのパチテレで放映していた「ガチプロ」という番組で活躍したヨースケプロ(万回転とは別人)と仲良くなった頃で、焼肉屋に誘って一杯やったっけ。

一番の思い出は「猛爆パチンコ王」という専門誌があった頃、名古屋へ6人のプロで乗り込み、3日間で収支勝負をする企画の2日目だろうな。

普通のパチプロさんはわからないと思うけど、誌面の一発勝負というのはプライベートの稼働より少し意味が重い。
それは後で挽回がきかないというのもあるし、「背負っている物を出し切らないと」のプレッシャーがかかるせいでもある。
まっ、今は動画での勝負も普通になったし、慣れた末に「半ばバラエティだし」と気楽になりましたがね。あの時は誌上プロ=巷のプロでもあったので、地域が違い普段の稼働を知らぬ者どうしでプライドがかかっていたのも理由です。
もう一つ気負った理由を挙げると、当時の自分はほぼジグマで知らぬ店でのまっさらからの勝負に自信がなかったのもあったと思う。

勝負の1日目はアテにしていた京楽のゴルフモチーフの台がダメで(前作のボクシングという機種で効いたゴム打ちが通用しなかった)、名古屋到着の前夜に続いての悔しい店廻りになる屈辱。
下ろしたての靴でマメはできるし、もう最悪だったなあ。

2日目は意を決して滞在していたホテルから遠く離れた地下鉄の妙音通り駅まで向かい、BarBarBar(メーカー発表は全て大文字だと思うけど、読みやすいように小文字を入れました)というR振り分けありの3回権利モノを狙いました。一抹の不安を抱えてね。

その不安とは午後に名古屋入りして、夜まで与えられた下見の時間(勝負には入らない)で「これってイケるんじゃない?」と踏んだものの、スペックを知りたくて必勝ガイドへ電話した経緯があったから。
詳細は自分の連載、「パチンコ機種回顧録バーバーバー」に以前書きましたので、そちらを参考に。
あっ、電話に出たのは、今や炎上系来店タレントで有名な某氏。これに騙されてたんだよぉ~!(笑)。
実際に当ててみると、出玉はどう考えても聞いていたより千個は多く出たという(汗)。

安易に他人の言葉を信用した結果がこれ。ていうか、確率と賞球数にカウント数だけ尋ねて、あとは自分で計算しろって話だわな。八つ当たりスマン、某氏よ。

結局、この機種で無難に勝つことができて、2日目のホテルへの帰宅は一番最後になった自分。初日にやらかした分だけ、その晩はホッとしたなあ。談話を採るために待機してくれていたライターさんと、名古屋名物の手羽先を夕飯を食べながら、テンション高くその日の立ち回りを語ったと思う。
取材した方も「その日は遅い祝杯を挙げた」と書いていたはずだし。

企画の方は翌日も同機種で勝ったものの、初日のミスが響いて2位か3位止まり。今も課題の対応力が浮き彫りになった形なれど、あの日の飯は美味かったなあ。「恥をかかずに済んだ」やら、「良かった、現時点での力はギリギリ出せた」とか、色んな感情も込みでね。