唐突ですが、皆様ジグマって言葉はご存じでしょうか?

ほぼ間違いなく年齢層が高いであろうこのサイトの読者様におかれましては、知らない方は中々おられないと思いますが、一応書いておくと「1店舗で凌ぎ続けるパチプロ」の事ですね。中にはエリア単位でジグマ、なんて使い方をするケースもありますが、まぁ元々パチンコ業界だけのスラングでしかないので、その正確性はさほど意味を持ちません。

ボクがパチンコに真剣に向き合いだしたハタチ前後の頃は、まだ田山さんがご存命でした。池上さんもご存命でした。そして、我らが安田一彦も今と変わらずバリバリでしたが、その頃の誌上プロは皆さん「ジグマ感」がありました。

その風潮がいつ頃から変わったのかは定かではありませんが、生まれたてのヒヨコよろしく、遠い背中に憧れた若かりし万回転は「ジグマカッケェ!やりてえ!」って素直に思っていました。

ですので、ボクがパチプロ生活を始めた頃は、そもそも1店舗でアレコレするのが当たり前って感覚でした。その第一歩のお店からご紹介したいと思います。

三益球殿 〇〇店

超地元すぎて、支店名まで書くと多方面に迷惑がかかる可能性があるので、伏字はご容赦下さい。何せ駆け出しの頃ですから、ここでの思い出は枚挙に暇がありませんので、端的に箇条書きで。

・玉ちゃんファイトの開放狙いで勝ち方の一つを教えてもらった

・ミサイルのシマ怖かった

・ボロボロだけど稼働スゲー良かったフィーバークィーンとかミルキーバー

・大花火の打ち換えイベントで⑥ツモったのに肺気胸になってアニキに代打ち頼んだ

・グランシエルでいっぱい勝たせてもらった

・初めての万枚はここでのアステカ

・アレックスのビタハズシをアホみたいなスピードと精度でこなしてるお兄様を見て、世の中の広さを知った

パチンコもパチスロも全てはここから始まって、打ちたくて打ちたくて仕方なくて、店舗横の道路わきでバイト先の先輩からクビ通告&説教を食らったりもしたクソ野郎がボクです。

その頃、実家から出たくて、一人暮らしをする為の資金は全てここから頂いたと言っても過言ではありません。

ありがとう、三益球殿。(勝たせてもらって)ごめんなさい三益球殿。

エスパス日拓溝の口本店

ここからはもうバリバリに実名出していきますw色々と話題に事欠かないエスパスさん。当時は「溝の口本店」だったんだけど、今は「駅前本館」なんて、微妙に変わってるんですね。知らなかった。

では、ここでの思い出も箇条書きで。

・初めてパチプロ仲間が出来た

・徹夜並びで獣王の設定⑥をツモれた

・ボクのレコード記録はココの吉宗で21000枚。

・最高負け額を叩き出したのもココ。獣王の設定⑤で17万負け。

・一日打ったら絶対設定判別間違えないリオデカーニバルで設定④なのに平気で設定⑥の札指してきたw

・初代ミリオンゴッドで負けすぎたのか泣いて店員にすがる老婆を見てこの世界のナニカを悟ってしまったあの頃

溝の口というエリアは、実にパチンコ屋が多くて、当時8店舗くらいが徒歩圏内に密集してたのかな?正確な数字は忘れましたけど。

1人暮らしをする為の引っ越し先を選ぶ際、見て回ったのが「神奈川中の主要な駅のパチ屋」でした。基準がパチ屋。ジグマって勝てるかどうかが基準でした。うん、どうかしてるぜ……w

溝の口は今も昔も激戦区なものですから、ココならしばらく食いっぱぐれる事は無いだろう、と見積もった上で引っ越し。横浜駅西口か溝の口か、迷った上で当時は若干溝の口の方が家賃が安かったのでこっちにしました。

6.5畳1Kのユニットバス。溝の口駅徒歩10分という立地で20年前に家賃7万円。これが高いのかどうか当時は何も分からなかったけど、流石に月20万くらいは稼げるやろ!と溝の口での生活を始め、ここで初めて光熱費やら通信費やら住民税やら、実家でのうのうと暮らしていたら分からなかった「一人で生きるってこういう事」を身をもって学んでいきました。

そして、一時期アパートの更新料が払えなくて、大家さんが「お金ないんでしょ?いいよw」とまけてくれたりもして……あの時身をもって知った情けなさ、そして御恩は一生忘れない。

楽園 溝の口店

同じ溝の口からのエントリーですが、こちらは2009年だかにグランドオープン。エスパスに通っていた頃から一転、万回転が人生で一度だけ真面目にサラリーマンをしていた最中にオープンされたお店という事で当初は知らなかったのですが、再びパチプーに舞い戻った際、大変お世話になりました。

・CRびっくりぱちんこ 銭形平次 with チームZを押すイベントを毎週やってたけど、千円18回くらいしか回らなくて、でもメチャクチャ出玉関係の釘がキレイだったんで止め打ち出来たらバリバリ稼げるのにボク一人しか打ってないのがデフォだったあの日

・マジハロ2を追っかけるのが楽しくてしょうがなかったあの日

・ひぐらしのなく頃に(初代)を追っかけるのが楽しくてしょうがなかったあの日

・ツインエンジェル3で唯一設定⑥をツモれたあの日

あとはまぁ、そこそこ通って、そこそこ勝たせてもらった的な普通の話。ただ、堂々と銭形で止め打ちをしてても何も言われなかったこのお店に対して当時は「釘で会話してくれるお店なんだなぁ……」なんて好意的な幻想を抱いていました。

それから数年後。

大して増えもしないきったない釘の北斗無双で止め打ちをしていたら、有無を言わさず「頭上にイエローカード」を差され、会話をするでもなく一方的に「次やったら出玉没収な」ってタメ語で言い放たれた時に幻想が解けました。

ああ、単に銭形の止め打ち効果を当時は何も知らず放置してただけね、と。打ち手側の機微を知ってるわけじゃなく、資本力でアレコレしてる如何にも今風のチェーン店で、ただただ当時ザルだっただけね、と良く分かりました。

そしてその時、パチンコホールなんて所詮現場のプロより台の事を何も分かっちゃいないクソしょうもないレベルの人間しかいないんだと悟りました。

いや、正確に言えば、そうでないホールも多々ある中、こうやって雑なやり方をする方が却ってお客を集める事ができ、儲ける事が出来てしまう現実を知りました。

だからこそどんどん愛好家は減るんだよな、という焼畑農業を続けるパチンコ業界のあり方も同時に垣間見た、そんな経験だったように思います。

そして、そう悟ったあの時が、ボクの中で「遊技」が終わった日だったのだと思います。

ジャパンニューアルファ エレム

勝手に「俺たちのジャパンニューアルファ!www」なんて、パチプロ仲間と酒を飲んでたなぁ。超勝手にw

神奈川県の中堅チェーン店。

サラリーマン時代を経て、溝の口時代に知り合ったお仲間とは疎遠になりました。その後、サラリーマンを辞めて復帰した際には孤独な日々。そんな毎日が味気なかったボクは、ふと思い立ってブログを書き始めました。そして、銭形の捻り打ちを当時大してメジャーでもなかったYouTubeにアップロードした結果、ブログが炎上しました。

しかし、炎上のおかげで1日100PVもあればマシだったボクのブログを多くの方が見に来てくれるようになり、賛否両論ある中で自分のスタンスを発信していった結果、考え方に賛同してくれる奇特な方たちもそれなりにいました。そこで、調子に乗ったボクはオフ会を開催してしまいます。

その舞台となったのがココ。エレム。

10何人集まって下さったかな。その中には勿論、今でも交流が続いている方、残念ながら音信不通になった方等々いますが、その後も定期的に通わせて頂いた、思い出のホールです。

覚えているのは

・マクロスFの設定⑥ツモらせてくれてありがとう

・他がどんどん厳しくなってもジャパンニューアルファだけはついぞ止め打ちで怒られる事は一切なかった(釘はちゃんと締まったw)

・お世辞にもお客は多いとは言えなかったけど、それがまた心地良かった

・趣味打ちするならココって決めて何度かお金を落としに行ったこともある

まぁ、色々なルートから、運営している会社さんが「労基法?んなもん知らねーよ」なゴリゴリの体育会系な会社だった(当時)という裏の話も聞いてしまった今となっては、色々アンニュイな思いもあります。

でも、当時大変お世話になった事に変わりはありません。だから、この系列だけは、釘的にやれる事が分かっていてもネタ系の攻略は一切しませんでした。楽園ではバリバリやったけどw

それがボクなりの最低限の礼儀だと思っていたので。

ノスタルジア

最後はこちらで〆させて下さい。リアルホールではないスロゲーセン。ただ、冒頭の三益球殿さんから向こう、パチンコ・パチスロとの関わりはあくまでもプロ生活がメイン。そんな人間なので、思い出のホールとなるとどうしても「ここで勝たせてもらった」系が多くなってしまいます。

そうして生活をパチンコに捧げてしまったが故に色々と詳しくなり、経験が積み重なり、辿り着いたのがこの場所。

今のボクにとってはノスタルジアさんは外せません。理由はもう「ノスタルジア閉店に寄せて」で書いたから端折りますね。

勿論、他のパチ・スロゲーセンも今となっては思い入れたっぷりですが、パチ・スロを扱っていながらホールとゲーセンではこうまで「景色が違う」という事を教えてくれた最初の場所ですから、ノスタルジアさんはちょっと特別です。

5月31日をもって閉店が決まっているノスタルジアさんですが、思い出をただ思い出で終わらす事なく、スタッフさんたちと再オープンに向けてのお話なんかをさせて頂いている昨今。

三益球殿から始まり、長く続いてしまったクズ人生でも、誰かのお役に立てることもあるんだ、と実感できるようになったのは、良くも悪くも歳を重ねたからだと思います。

 

思い出のホール――

 

それはきっと、流行りの音楽、季節の匂いなんかと同じように、それぞれの心に刻まれる景色です。

あなたの思い出のホールはどんな場所でしたか?その時あなたは何をしていましたか?

そうして思い返す一人一人のストーリーに、これからもパチンコとパチスロが寄り添ってくれる存在であって欲しいなぁ、と願います。

ほどほどな遊技料金でね。


■万回転 プロフィール

  • 1978年生まれ ♂ 
  • 累計15年間パチプロを経験
  • CR銭形平次の捻り打ち動画をアップしてしまいネットでプチ炎上した事を機に安田プロと個人的な親交が生まれ、悠遊道へ寄稿する事に
  • 色々あって完全にパチプロを引退。
  • 現在は悠遊道動画チャンネルの何でも屋

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