皆様、ご機嫌いかがでしょうか。

本日の担当は「悠遊道の例のアレ」こと、夾竹です。「アレ」が何なのか、そこはまだ暫くナイショにしておかせて下さいませ。

公開済みの記事に読者様から頂いたコメント(皆さんいつもありがとうございます。)への返信で「1K40回転のパチンコ」について少し触れたからか、その当時の事を書きたくなっちゃいました。

少々、昔話にお付き合いくださいませ。

1K40回転の台その名は…

今から溯ること約30年の1993年、当時自分がネグラにしていた駅前A店での話です。

自分は大抵「セブン機」でタコ粘りするスタイルだったのですが、ある日お目当ての台をマーク屋みたいな常連さんに取られ、面白くないのでその人の顔が見えない隣の島へ。

そこで見かけたのが、1993年6月にホールデビューとなり、導入から半年ほど経っていたSANKYOさんの「フィーバークイーンⅡ」

それまでは、クイーンについては苦手意識が強く、まともに触って来なかったが故に仲間内で「すごく廻るらしい。」と噂されていたのに、素敵に無視してたんですよね。いわゆる「素無視」ってやつです(笑)

 

ありがたみを理解しろ昔の俺

500円硬貨をサンドに投入して打ち出すと、直ぐに異変に気付きます。「なんやこれ、親指おかしィなるやんけ!!」と。

あまりにもヘソに入る。当時の自分は保留4個若しくはリーチで打ち出しを止めていたため、STOPボタンを頻繫に押す動作で親指を痛める事になり、いきなり心が折れそうになりました。

万券を崩して用意していた20枚の500円玉をほとんど減らさず、一度目のFEEVER。朝のラッキータイム、しかも島一番乗りでの当たりなので【無制限札】を掲げ、ニコニコしながら持玉遊技に入ります。

そのあとも廻る廻る。延々と廻り続けるデカドラム。時折掛かるリーチの「テレッてっててってー♪」に興奮…する事もなく、たぶんあくびしてたと思います。だってさ、こんなにも廻るのに当たらないんだもん。

ドル箱が空になる直前に、「再始動」だったか「戻り」だったか定かでは有りませんが、二度目のFEVER。朝イチ即当たりからの持玉遊技なのに、時計を見たら既に12時前!「おいおい、めちゃくちゃ廻るやん!」

現在なら泣いて喜ぶような廻りと言うか、白服がすっ飛んでくるレベルの有り得ない&ありがたい状況ですが、当時の自分は「連チャンしないのかよ、けっ!」くらいしか思っていませんでした(笑)

結果として、投資が少ないから勝てたものの、終日で4,000玉ほどにしかならず。これまた当時の自分は「負けたに等しい」とかほざいてました。

過去に戻って、当時の自分をがっつり説教してやりたいですね。

あの頃としても確かに廻り過ぎなその裏看板に設置された台は、入替でその店から無くなるまでずーっとそんな感じでした。

店からすると間違いなく毎日「赤」になる調整でしたが、鉄火場のように奪い合いが起きる事もなく、むしろ空き台である事が多いほど。

ゆえに、連日のようにこの「凄く廻る」クイーンの角台に座る事ができ、自分にとっては【良き時代の象徴】のような思い出です。

 

ジュリーでも可。

こうやって振り返ると、つい「あの頃は…」とか言ってしまいがちですが、吞みながらそんな話するのもたまにはいいと思うのです。

ただ、いかんせん「ころっち」を克服出来ていない現状では、そんなわけにも行かず。

なので、『勝手に読者の方を巻き込んで、勝手気ままに思い出話を語る』という暴挙に出るという「何とも勝手なスタイル」でお届けした今回の記事でしたが、如何でしょうか?

これを読んで下さっている皆様の中の何割かの方の心の中には、かのブリティッシュパンクバンドの代表的なアルバムの邦題が思い浮かんでいるかもしれません。

Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols-「勝手にしやがれ‼」ってね。